※これはBPFKsectionの訳です。
.a'i (UI1)
努力 / 尽力 / 苦心 / 骨折り / 奮闘 を表す気持ち
(cf. troci, gunka, slunandu, selprogunka, fu'i nai)
.a'i mi ze'a ba ralte
押さえようとしてるよ!
.a'i mi ba gasnu lo nu do cikna binxo
君を起こすのは苦労するよ。
2013/07/14
2013/07/13
ロジバン会話 01
A: le ca nicte cu manku je .uinai lenku
B: ko .a'o glare
A: mi ca ca'o dasni lo kosta
B: .ui .i'e .i aunaicai do bilma
--------------------
A: 今夜は暗くて寒いね(不幸)
B: 暖かくしておいてね。
A: 今はコートを着ているよ。
B: よかった。君に絶対病気になってほしくないよ。
<参考> twitter
補足3:時間表現について
ここでは、時間表現について学んでいきたいと思います。
時間表現といえばテンスもありますが(CA, ZAhA)、これについては本編をどうぞ(10章、11章)。
時間表現の中でもより素朴な、時間表現を担うgismuについて学んでいきましょう。
・時間表現の前に~ZEhAの補足
前提知識のために、ここでおさらい(補足)しておきます。
ZEhAは「期間」をあらわすテンスsumtcitaでしたね。
それぞれ、
ze'i : 短期間
ze'a : 中期間
ze'u : 長期間
を表し、この長短は主観的なものだということも10章でやりましたね。
さて、これらもsumtcitaなのですから、後ろにsumtiをとることができます。
ZEhAは後ろに語Xをとって、「Xに相当する短/中/長期間」を表します。
つまり、ZEhAは英語でいう「for」に相当します。
mi denpa ze'u lo nu do sipna - 君が寝ている長い間、私は待っていた。
ふつう、例文のような出来事の期間と相対的に物を言うことはあまりないと思います。
「1時間」や「30分間」などという語が分かれば不自由ないように思えますね。
・期間系のgismu
さて、時間表現を担うgismuを列挙していきます。まずは、時間、分間、秒間を表すgismuです。
cacra : x1はx2時間(x3という基準で)
mentu : x1はx2分間(x3という基準で)
snidu : x1はx2秒間(x3という基準で)
これに関しては、主bridiのselbriとして使われることはないと思います。
これらはしばしばsumtiとして使われる方が多いでしょう。
x2が省略された場合は、1が想定されます(lo cacra = 1時間)
量化することによって、「3時間」を「3つ分の時間」、 ci cacra としてもいいです。
lo nu mi bajra cu cacra li mu - 私が走るということは5時間だ。 = 私は5時間走る。
mi bajra ze'i mu cacra - 私は5時間だけ走る。
ちなみに、「~後」「~前」は baza, puza で表せます。たとえば、3分後は「baza ci mentu」です。
次は、日間、週間、月間、年間を表すgismuです。
これらもx2が省略された場合は、1が想定されます。
djedi : x1はx2日間(x3という基準で)
jeftu : x1はx2週間(x3という基準で)
masti : x1はx2ヶ月間(x3という基準で)
nanca : x1はx2年間(x3という基準で)
lo nu do sipna cu djedi li vo - 君が寝るということは4日間だ。 = 君は4日間寝る。
mi ca'o bilma ze'u lo jeftu li ci - 私は3週間も病気だ。
mi co'a cacra li remu baza vo masti - 4ヶ月後、私は25歳になる。
・日時系のgismu
次に、日時表現を表すgismuを見ていきます。
tcika : x1(時、分、秒)はx2(事)のx3(日)・x4(場所)での時刻
detri : x1(日、{週、月}、年)はx2(事)のx3(場所)・x4(暦)での日付
datru : x1(事)はx2日、x3月、x4年のx5(暦)で起きる
tcikaやdetriのx1では、pi'eで区切って時、分、秒や日、週、月、年を表します。
li pa pi'e cino - 1時30分
時に関しては24時間制を採用しています。例えば、li renoは20時、午後8時です。
datruは試験的gismuで、detriの改良版として現れました。というのも、detriは文化的中立な日付システムとして機能しないという声が上がっているからです。日付を表すのにpi'eでは不十分であり、そのため、datruではPSにそれぞれの要素を用意しています。
li pano cu tcika lo nu mi klama lo ckule - 10時は私が学校に行く時間だ。
lo nu mi jbena cu li reci li ze li pasosore - 私が生まれたのは1992年7月23日だ。
tcika、detri由来のBAIが存在し、それぞれti'uとde'iです。こっちのが使いやすいですね。
・日時系のlujvo~今と未来と過去
基本的なgismuについて見てきたので、ここからその組み合わせによるlujvoをみます。
まず、昨日、今日、明日からいきます。PSはあえて載せません。
lo cabdei : 今日
lo prulamdei : 昨日
lo bavlamdei : 明日
mi klama la .tokion. ca lo cabdei - 私は今日東京に行く。
deiはdjediのrafsiですね。cab-はcabna(今)のrafsiです。
prulam-は purci(過去)+lamji(隣)から、bavlam-はbalvi(未来)+lamji(隣)からきています。
このcab-, prulam-, bavlam- は便利で、jeftu(週)やmasti(月)やnanca(年)にもつきます。
ちなみに、masti、cacraのrafsiはそれぞれma'iとna'aです。
lo cabjeftu : 今週
lo prulamjeftu : 先週
lo bavlamjeftu : 来週
lo cabma'i : 今月
lo prula'ima'i : 先月
lo bavla'ima'i : 来月
※lamだとmが重なるので、lamではなくla'iを使っています。
lo cabna'a : 今年
lo prulamna'a : 去年
lo bavlamna'a : 来年
・日時系のlujvo~曜日と月
曜日から行きましょう。
pavdei 月曜日
reldei 火曜日
cibdei 水曜日
vondei 木曜日
mumdei 金曜日
xavdei 土曜日
zeldei/nondei 日曜日
語尾はdeiなのは分かりますね。接頭辞は数字のrafsi形です。これは月でも出てきます。
一応言っておくと、1から順にpa re ci vo mu xa ze bi soです。
日曜だけ二つあるのは日曜日を0日目とするか7日目とするかが文化によるからです。
次に月を見ていきます。
pavmasti 1月
relmasti 2月
cibmasti 3月
vonmasti 4月
mumymasti 5月
xavmasti 6月
zelmasti 7月
bivmasti 8月
sozymasti 9月
pavnonmasti 10月
pavypavmasti 11月
pavrelmasti 12月
接尾辞がmastiで、接頭辞が数字のrafsi形なのは曜日と同じです。
mmやzmは禁則子音なのでその間にはyが挟んであります。
数字の母音はa,e,i,o,uで繰り返されますが、それに応じてrafsi形にも規則性があります。
a v
e l
i b/v
o n/z
u m
・テンスsumtcitaの補足~TAhEとROI
かなり使えそうなのにwavelessonになかったものを紹介します。まずはTAhEです。
TAhEはselbriの起こる間隔を表すテンスです。
di'i 規則的
na'o 典型的
ru'i 継続的
ta'e 習慣的
na'oは主観的な間隔です。その人が思う常識的な間隔を表します。
TAhEはnaiをつけて意味を逆にできます。
di'inai(不規則的)とru'inai(断続的)が有用だと思います。
次にROIです。roiは「~回」を表すテンスです。
mi pa roi klama le zarci - 私は1回その店に行く。
ZEhAを述べればその範囲内での回数を表します。
ここで覚えておきたいZEhAがあり、ze'e(時間全体)です。
ze'e pu pa roi で「過去に一度だけ」という意味になります。
覚えておきたい表現として、roroi (いつも)、so'eroi(たいてい)があります。
時間表現といえばテンスもありますが(CA, ZAhA)、これについては本編をどうぞ(10章、11章)。
時間表現の中でもより素朴な、時間表現を担うgismuについて学んでいきましょう。
・時間表現の前に~ZEhAの補足
前提知識のために、ここでおさらい(補足)しておきます。
ZEhAは「期間」をあらわすテンスsumtcitaでしたね。
それぞれ、
ze'i : 短期間
ze'a : 中期間
ze'u : 長期間
を表し、この長短は主観的なものだということも10章でやりましたね。
さて、これらもsumtcitaなのですから、後ろにsumtiをとることができます。
ZEhAは後ろに語Xをとって、「Xに相当する短/中/長期間」を表します。
つまり、ZEhAは英語でいう「for」に相当します。
mi denpa ze'u lo nu do sipna - 君が寝ている長い間、私は待っていた。
ふつう、例文のような出来事の期間と相対的に物を言うことはあまりないと思います。
「1時間」や「30分間」などという語が分かれば不自由ないように思えますね。
・期間系のgismu
さて、時間表現を担うgismuを列挙していきます。まずは、時間、分間、秒間を表すgismuです。
cacra : x1はx2時間(x3という基準で)
mentu : x1はx2分間(x3という基準で)
snidu : x1はx2秒間(x3という基準で)
これに関しては、主bridiのselbriとして使われることはないと思います。
これらはしばしばsumtiとして使われる方が多いでしょう。
x2が省略された場合は、1が想定されます(lo cacra = 1時間)
量化することによって、「3時間」を「3つ分の時間」、 ci cacra としてもいいです。
lo nu mi bajra cu cacra li mu - 私が走るということは5時間だ。 = 私は5時間走る。
mi bajra ze'i mu cacra - 私は5時間だけ走る。
ちなみに、「~後」「~前」は baza, puza で表せます。たとえば、3分後は「baza ci mentu」です。
次は、日間、週間、月間、年間を表すgismuです。
これらもx2が省略された場合は、1が想定されます。
djedi : x1はx2日間(x3という基準で)
jeftu : x1はx2週間(x3という基準で)
masti : x1はx2ヶ月間(x3という基準で)
nanca : x1はx2年間(x3という基準で)
lo nu do sipna cu djedi li vo - 君が寝るということは4日間だ。 = 君は4日間寝る。
mi ca'o bilma ze'u lo jeftu li ci - 私は3週間も病気だ。
mi co'a cacra li remu baza vo masti - 4ヶ月後、私は25歳になる。
・日時系のgismu
次に、日時表現を表すgismuを見ていきます。
tcika : x1(時、分、秒)はx2(事)のx3(日)・x4(場所)での時刻
detri : x1(日、{週、月}、年)はx2(事)のx3(場所)・x4(暦)での日付
datru : x1(事)はx2日、x3月、x4年のx5(暦)で起きる
tcikaやdetriのx1では、pi'eで区切って時、分、秒や日、週、月、年を表します。
li pa pi'e cino - 1時30分
時に関しては24時間制を採用しています。例えば、li renoは20時、午後8時です。
datruは試験的gismuで、detriの改良版として現れました。というのも、detriは文化的中立な日付システムとして機能しないという声が上がっているからです。日付を表すのにpi'eでは不十分であり、そのため、datruではPSにそれぞれの要素を用意しています。
li pano cu tcika lo nu mi klama lo ckule - 10時は私が学校に行く時間だ。
lo nu mi jbena cu li reci li ze li pasosore - 私が生まれたのは1992年7月23日だ。
tcika、detri由来のBAIが存在し、それぞれti'uとde'iです。こっちのが使いやすいですね。
・日時系のlujvo~今と未来と過去
基本的なgismuについて見てきたので、ここからその組み合わせによるlujvoをみます。
まず、昨日、今日、明日からいきます。PSはあえて載せません。
lo cabdei : 今日
lo prulamdei : 昨日
lo bavlamdei : 明日
mi klama la .tokion. ca lo cabdei - 私は今日東京に行く。
deiはdjediのrafsiですね。cab-はcabna(今)のrafsiです。
prulam-は purci(過去)+lamji(隣)から、bavlam-はbalvi(未来)+lamji(隣)からきています。
このcab-, prulam-, bavlam- は便利で、jeftu(週)やmasti(月)やnanca(年)にもつきます。
ちなみに、masti、cacraのrafsiはそれぞれma'iとna'aです。
lo cabjeftu : 今週
lo prulamjeftu : 先週
lo bavlamjeftu : 来週
lo cabma'i : 今月
lo prula'ima'i : 先月
lo bavla'ima'i : 来月
※lamだとmが重なるので、lamではなくla'iを使っています。
lo cabna'a : 今年
lo prulamna'a : 去年
lo bavlamna'a : 来年
・日時系のlujvo~曜日と月
曜日から行きましょう。
pavdei 月曜日
reldei 火曜日
cibdei 水曜日
vondei 木曜日
mumdei 金曜日
xavdei 土曜日
zeldei/nondei 日曜日
語尾はdeiなのは分かりますね。接頭辞は数字のrafsi形です。これは月でも出てきます。
一応言っておくと、1から順にpa re ci vo mu xa ze bi soです。
日曜だけ二つあるのは日曜日を0日目とするか7日目とするかが文化によるからです。
次に月を見ていきます。
pavmasti 1月
relmasti 2月
cibmasti 3月
vonmasti 4月
mumymasti 5月
xavmasti 6月
zelmasti 7月
bivmasti 8月
sozymasti 9月
pavnonmasti 10月
pavypavmasti 11月
pavrelmasti 12月
接尾辞がmastiで、接頭辞が数字のrafsi形なのは曜日と同じです。
mmやzmは禁則子音なのでその間にはyが挟んであります。
数字の母音はa,e,i,o,uで繰り返されますが、それに応じてrafsi形にも規則性があります。
a v
e l
i b/v
o n/z
u m
・テンスsumtcitaの補足~TAhEとROI
かなり使えそうなのにwavelessonになかったものを紹介します。まずはTAhEです。
TAhEはselbriの起こる間隔を表すテンスです。
di'i 規則的
na'o 典型的
ru'i 継続的
ta'e 習慣的
na'oは主観的な間隔です。その人が思う常識的な間隔を表します。
TAhEはnaiをつけて意味を逆にできます。
di'inai(不規則的)とru'inai(断続的)が有用だと思います。
次にROIです。roiは「~回」を表すテンスです。
mi pa roi klama le zarci - 私は1回その店に行く。
ZEhAを述べればその範囲内での回数を表します。
ここで覚えておきたいZEhAがあり、ze'e(時間全体)です。
ze'e pu pa roi で「過去に一度だけ」という意味になります。
覚えておきたい表現として、roroi (いつも)、so'eroi(たいてい)があります。
2013/07/08
wavelesson傍用問題集一応の完成報告
一応26章まで完成させました(26章の問題の少なさはおそらく僕の怠惰さによるものです)
wavelesson傍用問題集 こちらからどうぞ。
申し訳ないことに、解答はまだ途中で止まっております…。
早くしてくれ!っていうコメントがあればせかせか頑張ります。
コメントがなければxekotakos(ne lo mi pendo)がそこに到達するまでにゆるゆる作ります。
wavelesson傍用問題集 こちらからどうぞ。
申し訳ないことに、解答はまだ途中で止まっております…。
早くしてくれ!っていうコメントがあればせかせか頑張ります。
コメントがなければxekotakos(ne lo mi pendo)がそこに到達するまでにゆるゆる作ります。
2013/07/07
論理接続詞の新版について
The CLL ver2.0では、論理接続詞の形に変更があります。
これがいつ正式になるかは分かりませんが、もしかしたらもう使っている人がいるかもしれません。
ですので、一応ここでも書いておきます。
・... e ... → ... je ...
・... je ...→そのまま
・... ije ... →そのまま
・... gi'e ...→ ...gije ...
・ ge ... gi ...→ jegi ... gi ...
・ joi gi ... gi... → そのまま
・ gu'e ... gi ... → 廃止
基本的に、j○とg○だけで論理接続詞は表せられるようになります。
ただ、これに伴いセルマホ(cmavoのカテゴリ)の統合も生じています。
今のA, JA はJOIに統合されることになります。
JOIに関しては26章でしますが、ここでもその特性について述べておきます。
この変更で、jeはsumti同士、tanru内部、bridi同士のいずれをも繋ぐことができます。
ですから、その接続詞が何を繋いでいるのかを明示してやる必要があります。
lo gerku je lo mlatu は構文エラーになります。
jeが何を接続するのかは前にくる語によって決まります。今回はgerkuです。
なので、このjeはgerkuと何かを、つまりtanru内部の接続詞となります。
しかし後続にはsumtiが来ているのでエラーが起こるわけです。
きちんとsumti同士を接続するにはlo gerku ku je lo mlatu とする必要があります。
ですから、便宜的にsumtiを繋ぐのはkujeだ、と覚えてもいいでしょう。
この変更によって、接続詞はより系統的に考えられます。
それは「giは次のgiがくるまで飲み込み続ける」という発想の元で実現します。
mi do jegi prami gi kurji は、mi do je [gi prami] [gi kurji]
これはJAがJOIに統合されたことから生じる形で、当然です。
mi prami gije kurji do は、 mi prami [gi je kurji do]
これが大きな変更だと思います。「giは次のgiがくるまで飲み込む」のですが、
giがひとつしかないため、文の最後まで飲み込みます。つまりbridi末端接続が起こります。
mi [prami] je [kurji] do と
mi prami [gi je kurji do] を見比べると分かりやすいと思います。
<参考> 文法改良案
これがいつ正式になるかは分かりませんが、もしかしたらもう使っている人がいるかもしれません。
ですので、一応ここでも書いておきます。
・... e ... → ... je ...
・... je ...→そのまま
・... ije ... →そのまま
・... gi'e ...→ ...gije ...
・ ge ... gi ...→ jegi ... gi ...
・ joi gi ... gi... → そのまま
・ gu'e ... gi ... → 廃止
基本的に、j○とg○だけで論理接続詞は表せられるようになります。
ただ、これに伴いセルマホ(cmavoのカテゴリ)の統合も生じています。
今のA, JA はJOIに統合されることになります。
JOIに関しては26章でしますが、ここでもその特性について述べておきます。
この変更で、jeはsumti同士、tanru内部、bridi同士のいずれをも繋ぐことができます。
ですから、その接続詞が何を繋いでいるのかを明示してやる必要があります。
lo gerku je lo mlatu は構文エラーになります。
jeが何を接続するのかは前にくる語によって決まります。今回はgerkuです。
なので、このjeはgerkuと何かを、つまりtanru内部の接続詞となります。
しかし後続にはsumtiが来ているのでエラーが起こるわけです。
きちんとsumti同士を接続するにはlo gerku ku je lo mlatu とする必要があります。
ですから、便宜的にsumtiを繋ぐのはkujeだ、と覚えてもいいでしょう。
この変更によって、接続詞はより系統的に考えられます。
それは「giは次のgiがくるまで飲み込み続ける」という発想の元で実現します。
mi do jegi prami gi kurji は、mi do je [gi prami] [gi kurji]
これはJAがJOIに統合されたことから生じる形で、当然です。
mi prami gije kurji do は、 mi prami [gi je kurji do]
これが大きな変更だと思います。「giは次のgiがくるまで飲み込む」のですが、
giがひとつしかないため、文の最後まで飲み込みます。つまりbridi末端接続が起こります。
mi [prami] je [kurji] do と
mi prami [gi je kurji do] を見比べると分かりやすいと思います。
<参考> 文法改良案
2013/07/06
meについて
meの意味が何年か前に変わったそうで、一度ここでまとめておきます。
meの定義は簡潔には言えず、少し言葉数がかかります。
とりあえず、meの使い方を先に述べておくと、その後ろにsumtiをとり、selbriとなれます。
例) ti me loi gerku
これがどういう意味を表しているのかを以下でみていきます。
・ 群sumtiを取り込む
基本的に、meは群sumtiを後ろにとります。そして、その「一部」的なニュアンスを呈します。
・ 一部であって一部でない
しかし、完全に「一部」とは訳しきれません。
たしかに従来の定義に見られるように、meには「[sumti]の一部」という意味が含まれています。
ですが、一部と言いますと、「その群全体」は指せないように思えますね。
meはその群全体を指すこともできるので、「一部」という訳ではカバーできません。
・ meにとって個と群は区別されない
数学で、「部分集合」という言葉がありますね。
簡単に説明すると、集合{0, 1, 2, 3, 4, 5}というのがあったときに、
{0,2,5}とか{1, 3, 4, 5}とか{2, 3}などといった、要素を部分的に含んだ集合のことをいいます。
定義上、元の集合自体{0,1,2,3,4,5}も部分集合のひとつです。
となると、次のように思う人がいるかもしれません:
「meは集合こそ表しはしないが、群の部分という意味で「部分群れ」を表しているのでは?」
いいアイデアだと思います。しかし、部分集合の定義をそのまま部分群れの定義として使ってしまうとダメで、ひとつだけ修正してやる必要があります。
たとえば、{1}は{1,2,3,4,5}の部分集合ですが、要素1は{1,2,3,4,5}の部分集合ではありません。
これはつまり、集合は個と集合を区別している、ということです。
修正すべきはまさにこの点で、meの意味を「部分群れ」と定義するなら、部分群れが個と群を区別しないようなものとしてやる必要があります。その点で部分集合と部分群れは異なります。
つまり、[A, B, C, D, E] という群があったときに、Aと[A]は区別されません。いや、厳密にいうと、Aという個は[A]とみなされる、Aは部分群れの特殊な場合とみなされるのです。この意味で、meにとって個と群は区別するような存在ではありません。
・ 既存のgismuと比較する
「一部」を表すgismu, pagbuをみてみます。
pagbu x1はx2(本体)の部分/部品/要素; x2は部分的にx1
これはまさに「一部」で、集合論的には真部分を指します。つまり、全体は部分ではありません。
・ meは述語論理の基礎的な概念を表す
そもそも、meはselbriとして機能はしますが、cmavoのひとつです。brivlaの形としてmeの意味をもつ語が定義されないのには理由があって、この概念は論理哲学の"amongの理論"に使われるもので、ロジバンのベースになっている述語論理にとって基礎的なものだからです。ですから、上で暫定的に用意した「部分群れ」という語より、"among的部分"とか単に"among"と訳すのがいいのかもしれません。以下の例文では、比較的分かりやすいであろう「部分群れ」を用いることにします。
・建てものを囲んでみる
さて、具体例としていくつか例文をみていきます。
x1 me zo'e noi ke'a sruri le dinju - x1はその建物を囲んでいる人たちの部分群れである。
zo'e noi ke'a sruri le dinju は、lo sruri be le dinju と同じ意味です。
x1には群(もちろん群の特殊な場合としての個)を入れることができます。
loi so'i tadni cu me lo sruri be le dinju
- 多くの学生の群れはその建物を囲んでいる人たちの部分群れである。
→ 多くの学生の群れが取り囲みに参加している。
さて、この中に2人組の学生が混ざっているならば、こう言えます。
loi re re tadni cu me lo sruri be le dinju - 二人組の学生がその建物の取り囲みに参加している。
さらには、個々の学生をx1にできます:
lo tadni cu me lo sruri be le dinju - 個々の学生が取り囲みに参加している。
ここで、meを使わない表現だと個と群で意味が異なってくることをみます。
loi so'i tadni cu sruri le dinju - 多くの学生の群れが建物を取り囲む。
この状況下でも次の表現は偽になりえます。
lo tadni cu sruri le dinju - 個々の学生が建物を取り囲む(一人それぞれが囲んでいる)
loi re tadni cu sruri le dinju - 2人の学生群れが建物を取り囲む(2人だけで囲んでいる)
このおかしさは、おそらくmeが「一部」のニュアンスをもっていることからわかると思います。
・結局meとは何なのか
まとめです。
meは「一部」のニュアンスをもっているが、「一部」そのものではありません。
「一部」の意味合いとして「部分集合」的意味を有するが、「部分集合」そのものではありません。
meにとって個は群の特殊な場合でしかありません。ゆえに個と群は区別されません。
meは「部分群れ」とか「among的部分」とか日本語では上手く訳せない概念かもしれません。
ひとつの大胆なやりかたは、meの概念を少し曲解させて、meが所属関係を表すのではなく、後続のsumtiのもつ性質をx1がもつ、すなわち「[sumti]的」とするやり方です。これは従来のmeの定義の継承とも言えます。
meは厳密には「部分群れ」ですが、非常に大雑把に考えて「一部」をmeの意味ととることもできなくはないでしょう。(この場合はpagbuを使ったほうがいいかもしれませんが)
mi me le mensi - 私はその姉妹のamong的部分だ ≒ 私はその姉妹のひとりだ
ですから、なんだかよくわからない人はmeは「ちょっと特別な意味を含む一部」と考えてもらったらいいかなと思います。
※ guskantさんから補足としてコメントいただいたのでここに載せたいとおもいます。
me の後に付く sumti は「群れ」でなくても構いません。
me の後にどんな sumti が付いても、 {me SUMTI} の x1 は「部分群れ」扱いされます。
例えば
me lo'i tadni po'u lo sruri be le dinju
取り囲みである学生の集合なものだ
lo'i tadni のような集合も、1個の集合という「個」であると見なすことができます。
個は部分群れの特殊な場合ですから、この集合自体も部分群れと見なすことができます。
この表現の x1 には「学生の集合なもの」が入るのが妥当です。
lu'i ma'a
のような、人の集合を指す sumti です。
意味上は、 me がこの集合自体を「個」という「部分群れ」扱いしていることになります。
x1 として、この集合の元である個々の学生や、学生の群れを指す sumti を入れても、文法的には正しいですが、意味としては、つじつまが合いません。
me lo sruri be le dinju
のように、群れでも個でも指し得る sumti が me の後に付く場合には、 x1 として群れを入れても、個を入れても、つじつまが合います。
ある sumti が群れでも個でも指し得るかどうかは、その単語の意味によって違うので、漠然としたものだと思います。
<参考> ロジバン相談室 meについて ki'ecai .guskant.
meの定義は簡潔には言えず、少し言葉数がかかります。
とりあえず、meの使い方を先に述べておくと、その後ろにsumtiをとり、selbriとなれます。
例) ti me loi gerku
これがどういう意味を表しているのかを以下でみていきます。
・ 群sumtiを取り込む
基本的に、meは群sumtiを後ろにとります。そして、その「一部」的なニュアンスを呈します。
・ 一部であって一部でない
しかし、完全に「一部」とは訳しきれません。
たしかに従来の定義に見られるように、meには「[sumti]の一部」という意味が含まれています。
ですが、一部と言いますと、「その群全体」は指せないように思えますね。
meはその群全体を指すこともできるので、「一部」という訳ではカバーできません。
・ meにとって個と群は区別されない
数学で、「部分集合」という言葉がありますね。
簡単に説明すると、集合{0, 1, 2, 3, 4, 5}というのがあったときに、
{0,2,5}とか{1, 3, 4, 5}とか{2, 3}などといった、要素を部分的に含んだ集合のことをいいます。
定義上、元の集合自体{0,1,2,3,4,5}も部分集合のひとつです。
となると、次のように思う人がいるかもしれません:
「meは集合こそ表しはしないが、群の部分という意味で「部分群れ」を表しているのでは?」
いいアイデアだと思います。しかし、部分集合の定義をそのまま部分群れの定義として使ってしまうとダメで、ひとつだけ修正してやる必要があります。
たとえば、{1}は{1,2,3,4,5}の部分集合ですが、要素1は{1,2,3,4,5}の部分集合ではありません。
これはつまり、集合は個と集合を区別している、ということです。
修正すべきはまさにこの点で、meの意味を「部分群れ」と定義するなら、部分群れが個と群を区別しないようなものとしてやる必要があります。その点で部分集合と部分群れは異なります。
つまり、[A, B, C, D, E] という群があったときに、Aと[A]は区別されません。いや、厳密にいうと、Aという個は[A]とみなされる、Aは部分群れの特殊な場合とみなされるのです。この意味で、meにとって個と群は区別するような存在ではありません。
・ 既存のgismuと比較する
「一部」を表すgismu, pagbuをみてみます。
pagbu x1はx2(本体)の部分/部品/要素; x2は部分的にx1
これはまさに「一部」で、集合論的には真部分を指します。つまり、全体は部分ではありません。
・ meは述語論理の基礎的な概念を表す
そもそも、meはselbriとして機能はしますが、cmavoのひとつです。brivlaの形としてmeの意味をもつ語が定義されないのには理由があって、この概念は論理哲学の"amongの理論"に使われるもので、ロジバンのベースになっている述語論理にとって基礎的なものだからです。ですから、上で暫定的に用意した「部分群れ」という語より、"among的部分"とか単に"among"と訳すのがいいのかもしれません。以下の例文では、比較的分かりやすいであろう「部分群れ」を用いることにします。
・建てものを囲んでみる
さて、具体例としていくつか例文をみていきます。
x1 me zo'e noi ke'a sruri le dinju - x1はその建物を囲んでいる人たちの部分群れである。
zo'e noi ke'a sruri le dinju は、lo sruri be le dinju と同じ意味です。
x1には群(もちろん群の特殊な場合としての個)を入れることができます。
loi so'i tadni cu me lo sruri be le dinju
- 多くの学生の群れはその建物を囲んでいる人たちの部分群れである。
→ 多くの学生の群れが取り囲みに参加している。
さて、この中に2人組の学生が混ざっているならば、こう言えます。
loi re re tadni cu me lo sruri be le dinju - 二人組の学生がその建物の取り囲みに参加している。
さらには、個々の学生をx1にできます:
lo tadni cu me lo sruri be le dinju - 個々の学生が取り囲みに参加している。
ここで、meを使わない表現だと個と群で意味が異なってくることをみます。
loi so'i tadni cu sruri le dinju - 多くの学生の群れが建物を取り囲む。
この状況下でも次の表現は偽になりえます。
lo tadni cu sruri le dinju - 個々の学生が建物を取り囲む(一人それぞれが囲んでいる)
loi re tadni cu sruri le dinju - 2人の学生群れが建物を取り囲む(2人だけで囲んでいる)
このおかしさは、おそらくmeが「一部」のニュアンスをもっていることからわかると思います。
・結局meとは何なのか
まとめです。
meは「一部」のニュアンスをもっているが、「一部」そのものではありません。
「一部」の意味合いとして「部分集合」的意味を有するが、「部分集合」そのものではありません。
meにとって個は群の特殊な場合でしかありません。ゆえに個と群は区別されません。
meは「部分群れ」とか「among的部分」とか日本語では上手く訳せない概念かもしれません。
ひとつの大胆なやりかたは、meの概念を少し曲解させて、meが所属関係を表すのではなく、後続のsumtiのもつ性質をx1がもつ、すなわち「[sumti]的」とするやり方です。これは従来のmeの定義の継承とも言えます。
meは厳密には「部分群れ」ですが、非常に大雑把に考えて「一部」をmeの意味ととることもできなくはないでしょう。(この場合はpagbuを使ったほうがいいかもしれませんが)
mi me le mensi - 私はその姉妹のamong的部分だ ≒ 私はその姉妹のひとりだ
ですから、なんだかよくわからない人はmeは「ちょっと特別な意味を含む一部」と考えてもらったらいいかなと思います。
※ guskantさんから補足としてコメントいただいたのでここに載せたいとおもいます。
me の後に付く sumti は「群れ」でなくても構いません。
me の後にどんな sumti が付いても、 {me SUMTI} の x1 は「部分群れ」扱いされます。
例えば
me lo'i tadni po'u lo sruri be le dinju
取り囲みである学生の集合なものだ
lo'i tadni のような集合も、1個の集合という「個」であると見なすことができます。
個は部分群れの特殊な場合ですから、この集合自体も部分群れと見なすことができます。
この表現の x1 には「学生の集合なもの」が入るのが妥当です。
lu'i ma'a
のような、人の集合を指す sumti です。
意味上は、 me がこの集合自体を「個」という「部分群れ」扱いしていることになります。
x1 として、この集合の元である個々の学生や、学生の群れを指す sumti を入れても、文法的には正しいですが、意味としては、つじつまが合いません。
me lo sruri be le dinju
のように、群れでも個でも指し得る sumti が me の後に付く場合には、 x1 として群れを入れても、個を入れても、つじつまが合います。
ある sumti が群れでも個でも指し得るかどうかは、その単語の意味によって違うので、漠然としたものだと思います。
<参考> ロジバン相談室 meについて ki'ecai .guskant.
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