2015/04/18

備忘録 アスペクトについて今後の方針

色々考えていたのだけど、収集がつかなくなってきたので、考えをまとめる意味も兼ねてメモ。

1. process か state か
参考:https://groups.google.com/forum/?fromgroups=#!topic/lojban-soudan/ZPNfNAD-6Uc

あるbrivlaの語彙的アスペクトは不定か、それとも決まっているか。ヴェンドラーの4分類(達成・到達・状態・動作)は、ある句をつけた表現が自然かどうかをみて判定されるので、ロジバンにも同じことができるかもしれない。これは非文法的であるかどうかをみるわけではないので、おそらくロジバンにも適用できるはず。しかしながら、「自然かどうか」というのが厄介。

個人的には、ロジバンでは内容語は「動態的」と「状態的」の2つのファクターについて考えればいいかなと思っている。基本的に、atelic(非限界的)(「動作」と「状態」)を内容語は表しているとしたい。

動態的であるとき、その事象は「動いて」いるが、動きのまとまりというのが必ずあるはず。それは事象全体で1つの動きのまとまりかもしれないし、事象内に数十個の動きのまとまりがあるかもしれない。いずれにせよ、事象が動態的であるとき、事象は1つ以上の動きのまとまり(動作ユニット)を含んでいるはず。

状態的であるとき、その事象内の任意の部分をとっても、その状態が成立しているはず。いわば、状態的であるとは連続的な様態を表しているということである。

動態的と状態的の2つは、群名詞と物質名詞の違いで喩えることができそう。動態的であるとき、1つの事象は複数の動作ユニット(サブ事象)からなっている。状態的であるとき、その一部でもまたその状態であることが約束される。

ヴェンドラーの4分類、もとい、それに対応する事象タイプというのは、上記2つのコンプレックスとして理解できそう。つまり、事象というのは実際は動態的な事象と状態的な事象の組み合わせであるように思う。

ここで面倒なんだが、動態的な事象のコンプレックスもまた動態的な事象として捉えられるということで、おそらく atelic であるということである。つまり、どんなに巨大な動態的複合体でも、それを非限界的に解釈することは可能である。

コンプレックス中の状態間遷移における後件状態による動態的事象の延続禁制の能力

以下、モデル
A: activity
{S}: state
-o : 動作許容
-x : 動作禁制

[[A]+; [S]] (もしくは、[[A]+; Φ])
// 動作ユニット[A]の連発であり、状態は[S]を維持している(もしくはフォーカス無し)

[[A1] [A2] [A3]; {S1}→{S2}(-x [A1])]
// [A1] [A2] [A3]の3種による動作からなり、状態はS1からS2に遷移し、遷移後のS2は[A1]の動作を禁止する

[[A]+; {S1}→{S2}(-o [A])]
// [A]の連発であり、ある点で状態はS1からS2に遷移するが、遷移後のS2においても[A]の動作は許容される(延続可能)

[Φ; {S1}→{S2}]
// 状態の遷移(到達)

状態遷移を動態的とすることの違和感。まあ、dynamic だから動態的でいいのだ。

※ {Complex} はないんだろうか?つまり、状態のコンプレックス。これは恐らく、今しているような感じではなくて、状態の論理結合によって表されそうだ。たとえば、

{S0} = {{S1}∧{S2}∧¬{S3}}

んな感じ。上でやっているのはもっぱら動態のコンプレックスである。そう考えると、複雑なコンプレックスを形成するのは動態のコンプレックスのみということになりそうだ。

状態が遷移することと、状態を遷移させることの違いはどこにあるのか、それはアスペクト論で取り扱うべきか。

mo'u がつけられるのはおそらく動態だけだと思う。 そして、mo'u の意味するところは、状態遷移点だろう。延続は、遷移後状態が動作を禁止するときのみ許容される。

文法的には状態にmo'uをつけることも可能だし、guskant氏の解釈なら有意味でもある。ひとつの最も荒っぽい方法は、mo'uを二義的にしてしまうことだと思う。つまり、動態と状態とで mo'u の意味論を変える。

状態のmo'uとは、「無事その状態を終える」ということだろうし、この「無事」が重要だと思う。何らかの要因で、状態が目標に至るまでに終わってしまうリスクがあるときに mo'u が使えそう。

このとき、「状態を維持する」、「我慢する」とか「耐える」はdynamicかどうかということになる。「座り続ける」のはstativeな感じがする一方で、底に穴のあいたバケツに水が入っている状態を続けるのはdynamicな感じがする。この差は、動かないことが状態維持に繋がるか、動くことが状態維持に繋がるかの違いだろう。つまり、状態維持はdynamicのときもあれば stative のときもある。

維持はおそらく

{Φ~>[S]; [S1]→[S2]}

[[A]~>[S]; [S1]→[S2]]

で表せる。~> は状態維持のための動作であることを意味せんとす。

「映画が終わるまで座り続ける」というのは、
{Φ~>[座っている]; [上映中]→[上映後]}

「焚き火を燃やし続ける」というのは、
[[薪を加える]~>[焚き火が消えていない]; [焚き火が消えていない]]
かなあ。

状態目的的な継続があって、それは見た目が atelic になる。しかしながらこれは、遷移する状態を意図していないという意味で、状態についてはΦかもしれない。つまり、

[[薪を加える]~>[焚き火がついている]; Φ]

という、atelicな「歩き」 [[一歩歩く]+; Φ]と似たような構造かもしれない。

「大往生する」をモデリングすると、

[[A]~>{健康である}; {生きている}→{死んでいる}]

だろうか。
着目すべきは、「大往生する」は「ある状態を維持したまま状態遷移する」ことであり、それ自体はdynamicであるということである。

これは mo'u jmive で表せそうだが、これは、状態に対するmo'uの意味論が導けそうだ。つまり、

{~>{S1}; {S}}

という構造で、状態の内容語を使えるかもしれないということである。「大往生」とは「状態S1が維持したまま、状態Sが終わる」ということで、「無事」とはつまり「維持されるべき状態が維持されている」ということかもしれない。これを、

{{S1}; {S}}

と書いてもいいかもしれない。もちろんこれは、

{{S1}∧{S}}

と同じ状態ではあるが、フォーカスが違うはず。

一方で、「退屈な映画が終わるまで無事座り終わる」というのは、

{{座っている}; {上映中}→{上映後}}

において、mo'u zutse は「→」を意図する。つまり、状態にたいするza'oは

維持している状態が、フォーカスの状態遷移後も維持されている

となる。結局、za'oはセミコロン以前を見ていることになる。一方で mo'u は

1. フォーカスの状態遷移が起こるまで、維持すべき状態が維持している
2. 維持すべき状態が維持したまま、フォーカスの状態が終了する

の2つの意味があると考えられる。これは構造、

1. {{S1}; {S2}→{S3}}
2. {{S1}; {S2}}

で区別される。2の構造は、{{S1}∧{S2}}と同じだが、違いは mo'u が使えるかどうか、すなわち、「完了を感じることができるか」の差だろう。

jmiveを例にとる。

{za'o jmive} は 「フォーカスの状態遷移後も生きている」(例:{爆発していない}→{爆発してしまった})
{mo'u jmive}は2つの読みが考えられる。
1. フォーカスの状態遷移が起こるまで、生きている。(例:「2015年である」→「2016年である」。また、反復的ではあるが「生きている」→「死んでいる」。これは、「死ぬまで生きている」ということ)
2. 維持すべき状態が維持されたまま、生き終える。(例:「大往生」)

za'o の延続の「the natural endpoint」とはフォーカスの状態遷移のことだろう。つまり、1の意味のmo'u点だろう。


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長いメモだ。あまりにも雑多すぎて、誰も読めない気がする。

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