lo ka [broda] はまあよく「性質」と訳されているが、たぶん「属性」の間違い。
めちゃくちゃ大雑把にいえば、 lo ka [broda] というのは「1項述語」のことだと思うし、もしかするとそういう風に割り切ったほうが変なことを考えずにさくさく使えるかも。
まず間違いなく、lo ka [文] の文は開文であることが明らかに、当たり前に、至極当然に感じられる。だって、1項述語だもの。一個穴が空いてなきゃ、それは1項述語でないもんね。なので、最早の無記述な項位置にはce'uが想定されて当然なのです。述語だもの。
ほんじゃ、たとえば、
ckaji
-kai-
x_1 には x_2 の性質がある
とか。これはどういう意味なんだっていえば、
ko'a ckaji lo ka ce'u blabi
は、「ko'aは『xは白い』を満たす」くらいに捉えることができる。要は、白いんだよ!今回の場合は
ko'a blabi
とほとんど、まったく?同じ意味になると思われる。
「なんのためにこんな回りくどいことを」と思うかもしれないし、僕もずっと思ってたけど、一個使い道があった。というのも、loka句はちょっとばかし本文から「浮いている」ので、
mi ckaji loka ce'u nelci lo gerku
は実に「私は犬が好きだ」を意味できるはず。・・・これはちょっと背景を知らないと関心しないかも。 lo broda は、xorloでは zo'e、つまり定項と同じなので、
mi nelci lo gerku
というのは、「総称の犬が好き」くらいの意味よりは、「犬であるようないくつかの個体が好き」になってしまって、若干意味合いが異なってくる。それじゃあ、
mi nelci ro gerku
とすればいいのかと言われると、総称文は全称文のときもあるが、そうでないときもあるので、必ずしも一辺倒にそう訳すことはできない。
しかーし! loka句は「ちょっと浮いている」のだ。言い換えると、loka句の文、「xは犬が好きだ」の議論領域は、主文とは違うものを用意できるので、まあ、総称文的な使い方ができるかな?とちょっと考えていた。
mutceとかはどうだろ?
mutce
-tce-
x_1 は x_2 (性質)に関して、 x_3 (極性)に対して凄い; x_1 はとても x_2
これは、まあ多分だけど、「その述語がめちゃくちゃ当てはまる」ってことなんだろうか。個人的にはこれには量が絡んでいるとは思う。
mi mutce lo ka ce'u blabi / ワイはめっちゃ白い
というのは、「ce'u blabi」に適合するために必要な諸量(今回は、白の度合い、白み?)がめっちゃあるってことだと思う。属性を始点にして、そこから、関連する量を間接的に x1 に押し付けてる感じかな。
zmadu や mleca もそんな臭いのする単語だね。
んまあ、ともかくとして、lo ka [文] は「1項述語に似たなんか」と考えておけば、割と混乱することはないかなあと思ったり。
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