2013/06/02

犬が先か、犬であるようなものが先か

ロジバンの意地悪(?)なところについて軽く触れたいと思います。

まず問題です。
「犬」とは何でしょうか?

犬って言ったらあれですね、耳があって、毛が生えてて、わんわんと鳴いて、それから…。
・・・語彙が貧困で申し訳ない。

大辞林によれば、
『食肉目イヌ科の哺乳類。オオカミを家畜化した動物と考えられている。よく人になれ、番用・愛玩用・狩猟用・警察用・労役用などとして広く飼育される。品種が多く、大きさ・色・形などもさまざまである。』
・・・らしいです。

まあ、とにかく、頭の中に各々「犬っぽい」ものが浮かんでると思います。
ここで問いたいのです。

それは「犬」なのか、それとも「犬であるようなもの」なのか?



犬?犬であるようなもの?

私たちはまず「犬」を見つけます。それからいろんな「犬」を見つけてきます。
そして、それらを全部「犬」と再び名付け直すのです。
つまり、実体の犬を総称的な犬へと昇華させるのです。
このとき、「犬」は、ある実体を指すが、ただその実体のみを指すものではなくなっています。
「犬」は、「名前」から「性質」へと変わったといってもよいでしょう。

もちろん、「犬」は徹底的に名前でしかない、という立場もとれます。
新しい「犬っぽい」ものを見つけたらそれにペタッと「犬」というラベルを貼るのです。
しかし、この立場は今回はここで触れるまでにしておきましょう。

ロジバンでは、「犬であるようなもの」論を採用します。つまり、犬とは性質なのです。
奇妙に感じるかもしれませんが、こうすることで従来の名詞と形容詞が統合するのです。

これは犬だ。
これは可愛い。

ロジバンではこの2つの文は文法的に全く同じに取り扱うことができるのです。

この経緯を経て、selbriや描写sumtiを学ぶと少しは理解しやすくなると思います。

gerku は犬ではなく「犬のようである」なのです。
lo gerku というのは「犬」ではなく正式には「犬であるようなもの」なのです。

ロジバンにはそういった意味で「名詞」がありません。
これが学習者にとっては少しとっつきにくいかもしれませんね。



2 件のコメント:

  1. "犬であるようなもの"の絵(カワイイ)が、まさにそう見えるという…w

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  2. ki'e .arixatos. ui
    意外と上手くかけました .ue

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