[多分、次のはじロジの「はじめに」あたりで書くかもしれないやつ]
ロジバンはみなさん知っての通り、「論理的言語」と呼ばれています。では、何が論理的なんでしょう?
実は、「論理的言語」という単語には定義がありまして、「形式論理に基いた人工言語」("conlang based on formal logic")となっています。ですから、ロジバンが「論理的な言語」と言われているのは、「その文法が論理学的である」ということです。
さて、「論理学的な文法」にするといいことがあるんでしょうか?以下では、もう少し詳しい説明をしようかと思いますが、ロジバンと直接は関係ないので、ここで結論を言ってしまいましょう。それは、
論理学研究が作り上げてきたシンプルな言語の構造がそこにあるから
です。論理学と聞くと、難しそう/ややこしそうな印象を受けますが、実際は、おかげでとってもシンプルな文法になっているのです。
------------- ここから下は教養 -----------------
さて、ここからは、少し脱線して、「論理学」「形式論理」について簡単にみていきましょう。身構えてしまう人も多いと思いますので、できるだけ簡単に紹介します。
「論理学」というのはまあなんとなく分かりますよね。三段論法とか聞いたことがあると思いますが、要するに、「どんな推理/推論なら問題ないか」というのを研究する学問です。
それでは「形式論理」とは何のことでしょう。もうほんっとうに簡単に説明すれば、
「論理を解析するためのシンプルなモデルって作れないかなあ」
というのが発端になります。実際は論理というのは文章や思考に現れるので、
「言語のシンプルなモデルって作れないかなあ」
くらいの意味にとっても(この限りでは!)いいと思います。
しかし、どうしてシンプルなモデルが必要なのでしょう?
ひとつは言語の複雑性です。言語には論理とは直接関係のないような部品がたくさんあり、それらは論理を研究するときには「はっきり言って邪魔」です。ですから、そういった論理研究に「ムダ」と思われる要素をできるだけ省いた「言語のおもちゃ」というのは、論理研究に向いていると考えられます。
もうひとつは言語の多様性です。言語といえど、日本語、英語、フランス語、ヒンディー語等々、その見た目や細かな文法というのには非常に豊かな多様性があります。ですが、論理というのは、もっと普遍的な、どの言語にも共通しているようなものな気がします。ですから、そういった各言語における細かい仕様を排除した「言語のおもちゃ」というのは論理を研究するのに向いていると考えられます。
…とにかく、
言語の複雑性/多様性をできるだけ省いたような新しい言語(記号体系)をつくって研究しよう!
としてできてくるのが形式論理ということになります。
というわけで、ロジバンは言語の複雑性/多様性をできるだけ省いたような新しい言語に基いているのですから、「そりゃあ、シンプルだ」ということになるわけです。
それでは、どれくらいシンプルな「おもちゃ」なんでしょう?代表的なおもちゃ、「命題論理」と「述語論理」をみてみましょう。
・ 命題論理
これは「論理というのは文と文の繋がりにあり」とする立場によってできた「おもちゃ」です。命題論理では、文それ自体を P, Q, R のように記号で置き換えます(つまり、「文の中身」というのは命題論理にとっては「ムダ」なのです!)。すると・・・
Pであり、Qである。よって、Pである。
とか
Pである。PならばQである。よって、Qである。
といった、論理の構造を汲み取ることができます。ですが、「ちょっと簡単にしすぎでは…」と思いますよね。とってもシンプルであるのは確かなのですが、シンプルすぎます。というところで、命題論理については終わりましょう。だってつまんないですもの!
・ 述語論理
これは先ほどの命題論理に比べるともう少し具体的です。さっきは文をまるっと記号に置き換えてしまいましたが、それだとあまりにシンプルすぎたので、文のエッセンスくらいは拾ってあげましょう。
文のエッセンスとはなんでしょう?述語論理では、「何がどうした/どうである」という形が文のエッセンスだと捉えます。たとえば、
私は人間である。
ジョンは賢い。
アリスは笑っている。
といった文は、日本語だと「名詞だ」とか「形容詞だ」とか「動詞だ」とか言いますが、これらはどれも
何(私/ジョン/アリス)が どうした/どうである(人間である/賢い/笑っている)
という形です。「どうした/どうである」という部分が名詞だとか、形容詞だとか、動詞だとかいうのは無視してやれば、これら3つの文はどれもまったく同じ形をしていると考えられます。
そこで、述語論理では、文を「何」の部分と「がどうした/どうである」の部分の2つに分け、その組み合わせによって文ができると考えます。これは文の基本的なところを押さえてるような感じがします。
表記としては(別に覚えなくてもいいですよ)、
a = 私/ジョン/アリス(ふつう、「何」に入る部分は小文字で置き換えます)
P = xは人間だ/xは賢い/xは笑っている(ふつう、「どうである」の部分は大文字で置き換えます)
とすると、上のような形の文は
P(a)
と表すことができます。
さらに、これをほぼ同じくらいのシンプルさで、より表現豊かにする方法があります。それは、
「何は何をどうした/どうである」(例:「私」は「ジョン」を愛する)
「何は何に何をどうした/どうである」(例:「私」は「ジョン」に「花束」をあげる)
「何は何から何へ何によってどうした/どうである」
(例:「私」は「東京」から「名古屋」へ「飛行機」によって行った)
というような、2つ以上の「何」を「どうした/どうである」で結びつける形も導入する方法です。
このような文はたとえば(もちろんこれも覚えなくていいですよ)
P(a,b)
とか
P(a,b,c)
とか
P(a,b,c,d)
のような形で表せます。さっきの括弧の中身が増えただけで、基本的な構造は何も変わりませんね。
と、述語論理のほうはかなりいい感じに程よく言語を「おもちゃ化」できているように思えます(実際、この「おもちゃ」は数学で利用されています)。
実はロジバンは、この「述語論理」というおもちゃをベースに作られています。ロジバンの基本的な文も1つ以上の「何」の部分と、1つの「どうした/どうである」の部分からできているのです。見てきたように、基本の形は「P(a,b,c)」でした。時制も、形容詞か動詞かも、そういうのは基本的な構造から削げ落としてあります。形式論理(述語論理)をベースにつくったことで、ロジバンの文法の基礎は実にシンプルになっていることがわかったでしょうか。
論理学研究が作り上げてきたシンプルな言語の構造がそこにあるから
という言葉の意味が実感できれば幸いです。
--------------さらに追加的な内容-----------------
めざとい方はこう思ったかもしれません:
「ロジバンが「おもちゃ」をベースに作られているのは分かった。でも、おもちゃを作るときに削げ落とした部分は論理研究には確かにムダかもしれないけど、人間が話す言語としては大事な部分かもしれないのでは?」
その通りです。ロジバンのベースである述語論理はたしかに「おもちゃ言語」でしょう。しかしながら、そのおもちゃが数学の記述で利用できるくらいの表現力を持っていることは注目に値します。いかにおもちゃとは言え、その表現力はかなりのものです。
ですが、数学の記述にはいらないけれど、日常言語の立場からすれば重要と思われるものについてはどうでしょう。たとえば、時制がそうです。「笑った」「笑う」「笑うだろう」を言いわけることができるのでしょうか?
さらにいえば、論理とはまず関係のなさそうな、感動詞や間投詞についてはどうでしょうか。「うわっ」とか「おーい」といったフレーズは、述語論理ではキレイに削げ落とされていますが、人間間の意思疎通に使う言語からすると、それらが無いのは痛手です。
ロジバンの基本的な構造はたしかに述語論理にもとづいています。しかしながら、ロジバン=述語論理ではありません。ロジバンは述語論理をベースにしながら、述語論理にはないが言語として重要な要素を取り入れています。ですから、ロジバンは(述語論理では削ぎ落とされたような)人間が話す言語としての表現力をもっています。
ロジバンを学習するというのは、述語論理に基づいた基本的な構造の部分と、それに付け加えられた豊かな表現のための部分に大きく分けることができると思います。
--------------------ロジバン学習の旅のしおり-------------------
ロジバン学習は、まず、基本的な文の構造を学ぶところから始まります。
それから、その文には「何」の部分と「どうした/どうである」の部分があるわけですが、それぞれの部分を複雑に(より豊かな表現に)していく方法を学びます。
そして、人間のための言語として復活、取り入れられた文法要素の習得があります。
この3種類の学習に加え、語彙の習得を入れると、4種類のことを学習していくことになります。
もちろん、たかが数種類に分けられるからといって、その中身も単純であるとは限りません。ときには山あり谷ありでしょう。しかしながら、その基本を修得するのはそこまで険しい道ではありません。だって、「名詞」「形容詞」「動詞」なんて言葉、知らなくても分かるような構造の上に「ロジバン山」はあるのですから!
では、簡単すぎてツマラナイなんてことはないんでしょうか?そんなこともまずないでしょう!現に、今この瞬間もロジバンの文法は研鑽されつづけています。流暢なロジバニストたちが議論を交わし合って、新たなロジバンの一面を見出しています。ロジバンはまだまだ発展途上です。飽きれるはずがありません。
まずは、ロジバン山の4合目あたりまで行ってみましょうか!
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