2015/03/08

アルカから学ぶ述語分析~動詞の定/不定と単位/非単位~ その2

これの前の記事の続き。
[1] アスペクト考:
http://conlang.echo.jp/arka/study_yulf_138.html

おさらい。
アルカだと色々と動詞が分けられる。

①行為動詞と状態動詞
基本的には行為動詞(つまり無相で行為部分のアスペクトを指示する)だけれど、一部(例外動詞というらしい)では状態動詞(つまり無相で状態部分のアスペクトを指示する)。

②定動詞と不定動詞
 アルカでいうところの完了相がつけられる場合が定動詞。言い方を換えれば、不定動詞は原理的には完了することがない。
 多分、アルカはほとんどすべての動詞が定動詞だと思う。なぜそう思うのかは、アスペクトのおさらいで後述する。

③単位動詞と非単位動詞(単発モデルと連発モデル)
あまりすきじゃないネーミング。定動詞は単発モデルと連発モデルの双方が可能だが、不定動詞は連発モデルのみ可能。文法的には -and 付加によって、連発モデルに移行する。「歩く(luk)」は、定動詞・不定動詞の両方の用法が可能なので、不定動詞用法で用いたいときは lukand にすればよろし。
 定動詞の連発モデルは「反復」で、不定動詞の連発モデルは「累積」。連発モデルは何らかの事象が連発しているモデルなわけで、「反復」では定動詞で表される事象それ自体が繰り返し起こっていることを表す。一方で「累積」では不定動詞で表される事象を構成する下位事象が繰り返し起こっていることを表す(と僕は思っている)。

※ あれ、じゃあ、定動詞 luk の反復は?多分やっぱり lukand だろなあ。「私は3年間この橋を通って学校に歩いて通っている」は多分 "lukand" 使うんじゃないだろうか。

てなかんじで、次にアスペクト。アルカのアスペクトは、
将然→開始→経過→完了→継続→終了→影響
の7相。

それぞれ多分こんな感じ:

将然:~しようとする
開始:~しはじめる
経過:~している
完了:~することを完了する/~することによって得られた状態が始まる
継続:~することによって得られた状態が続いている
終了:~することによって得られた状態が終わる
影響:~した結果が残っている/~することによって得られた状態の影響が残っている

アスペクトもその粗さによって色々と分けられる

① 行為段階と状態段階
「将然・開始・経過」が行為段階で、「継続・終了・影響」が状態段階。

※ [1] だとこの2つを「行為動詞」「状態動詞」と言ってるのだけど、個人的にここで「~動詞」というのは気持ち悪いので、「段階」にした。

② 事前段階、実行段階、事後段階
こんな感じ:

将然、開始、経過:事前段階
経過、完了、継続:実行段階
継続、終了、影響:事後段階

経過と継続がそれぞれの段階で重複してることに注意。なお、実行段階を内相、それ以外を外相という場合もあり。

③ 未完了と完了
こんな感じ:

~経過:未完了
完了~:完了

という大雑把な分け方。だけど、「完了」「行為の成立」は大事らしいので、この分類も捨てたもんじゃない。

てな感じ。アルカはアスペクトを7相、つまり、行為と状態をうまいこと連結させて、1つの語で表現することに成功したなって感じがする。「なんらかの行為をしようとし、それが始まり、少しの持続があり、成立することでなんらかの状態が生まれ、それがある程度持続し、終わり、なんらかの跡を残す」。これを元にして動詞は定義されているので、大体の動詞は他動詞なのは多分これによる(実際は逆か。他動詞中心の言語だから、こんな相概念ができたのかな)。

単発→連発モデル変換子(-and)の逆がないのは、定動詞的解釈のできうる不定動詞がないということである。これは恣意的なもので、合理的に組むなら、「定動詞解釈のできる不定動詞」はすべて定動詞で定義してしまえばいいわけで、これによって、そのような不定動詞が排せ、連発→単発モデル変換子を定義しなくて済む。
 たとえば、luk を本来的には不定動詞であるとし、連発→単発モデル変換子として -ahend みたいなものがあったとすれば、 lukahend は「solはyulを通ってaに行く」という実際のアルカの luk と同じ意味にできる。この仮想アルカでの luk は実際のアルカの lukand に等しい。この例から、本来的に不定動詞であり定動詞的解釈のできるものを完全に排せることが分かる。
 じゃあ、定動詞的解釈が事実上できなく、不定動詞と振る舞うことしかできないようなものはどうすればいいか。これは、形式上の定動詞を作っておいて、「実際は and付加形で使うことがほとんど」とするのが統一がとれていいと思う。そんな動詞があるなら、の話だけどね。


はてさて、ここからはロジバン。

 ロジバンは動詞・形容詞・(繋辞+)名詞の区別がないことに注意する。「繋辞+名詞」を形容詞と統合するのはそこまで苦ではないが、形容詞と動詞を統合するのはそのままでは難しい。というのも、動詞には行為動詞と状態動詞の2つがあって、行為動詞は動詞特有であるからである。しかしながら、状態動詞は、その性質上、形容詞に近いので比較的簡単に統合が可能である。そのため、状態動詞はロジバンと相性がよく、アルカの例外動詞にあたる述語はおそらくそのままロジバンにもあるはず。

 問題は、それ以外の動詞をどうするか、ということになるが、まずは不定動詞からはじめよう。不定動詞は割と対処しやすい。というのも、不定動詞は、連発モデルであるがゆえに、状態動詞と結構似ているからだ。たとえば、「走っている」(累積)というのは、人によれば「状態」と解釈されてもそこまでおかしくはないだろう。というわけで、不定動詞は累積の形ですんなりロジバンで定義できる。

 最後に、定動詞のうち行為動詞である。「食べる」とか「行く」といった動詞である。たとえばアルカでは、無相に指向性(特定の相の想定しやすさ)をもうけていて、『vatなど、経過相の長い動詞は経過相に指向性を持つ。sedoなどの瞬間動詞は経過相がほとんどないので完了相に指向性を持つ。』としている。"kui"(食べる)や "ke"(行く)は、無相で経過相「~している」が想定される。経過相は、状態動詞における継続相と似て、そのような状態を表しているととれるから、行為動詞は、経過相の形でロジバンに取り込める。

 ロジバンにおいて一環しているのは、その述語のデフォルトの相で、ある程度の時間範囲をとることができるという点だと思う。いわゆる点のアスペクトというのは、一瞬であるため、真か偽かというのを論じにくい。クワインのいう刺激係数を比較的長くとれるのは、継続相、反復相、経過相であり、言語習得においても、述語のあてはめのほとんどはこれらの相に対して行われるはずである。ロジバン(ログラン)の述語1語文を観察文として解釈しようとしていたことも考えると、やはり、継続相、反復相、継続相の3相がロジバンではデフォルトになってくるだろうと思う。

 以上のことから分かるとおり、ロジバンの述語は基本的に状態動詞的である。ロジバンの主なアスペクトは次のようになっている:

pu'o:~しようとする/まだ~していない(prospective)(cfapru)
co'a:~し始める(Initiative)(cfari)
ca'o:~している(Progressive/imperfective)(faurmidju)
co'u:~し終わる(Cessative)(tolcfa)
ba'o:~し終わっている(perfective/retrospective)(tolcfabalvi)

wikibooksやwikipediaやCLL日本語抄訳等、それぞれで相の名前がまちまちなのがなんとも…。

これに加えて、重要なのが、

mo'u:~し終わる(Completive)(mulfa'o)

であり、これはアルカの完了相とおそらく同じ。さて、ここからが少しややこしい。

①状態動詞
このとき、対応関係は次のようになる(右がアルカ相)。

pu'o:~経過相
co'a:完了相
ca'o:継続相
co'u:終了相
ba'o:影響相

アルカでは、状態動詞(状態段階)は行為段階完了からであり、アルカは行為中心であるので、状態開始点は行為の終了点に等しく、すなわち、完了相となる。

②不定動詞(連発モデル)
このときの対応関係は次のようになる:

pu'o:将然相
co'a:開始相
ca'o:反復相
co'u:終了相
ba'o:影響相

多分、3つの中でもっとも当てはまりがよいのが連発モデル。"lukand" と {cadzu}はきっと大体同じ意味。

③行為動詞
このときの対応関係は次のようになる:

pu'o:将然相
co'a:開始相
ca'o:経過相
mo'u:完了相
ba'o:継続相~

co'u じゃなくて mo'u にしていることに注意。思うに、mo'uは③の場合でのみ使える。この場合での co'u は何相だろう…というのは少し気になるけれど、多分、完了未完了を問わない中止/停止だろう。

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述語を3つに分けたわけだが、実際はロジバンの述語はこんな分類がなされていないので、ではある述語は一体どこに属するのかをどう判断すればいいんでしょ。

ひとつの目安は、「その述語が当てはめやすい状況を想像してみる」ことだと思います。小さい子どもが語の当てはめを練習している風景を想像してもいいでしょう。

{citka}ならふつうは「食べ終わり」「食べたあと」よりは「食べている最中」(アルカの経過相)でしょうし(それゆえに{citka}は③)、
{vofli}ならやはり「上昇飛行中」(経過相)よりは「空を飛んでいるとこ」(反復相)でしょうし(ゆえに{vofli}は②)、
{dasni}なら「服に袖を通そうとしているとこ」(経過相)よりは「服を着てあるとこ」(継続相)でしょう(ゆえに①)。

・・・という風に(公式には曖昧ですが)、なんだかんだで分類を見極めることは多分可能です。


ロジバンはアルカの7相よりも少ないですから、というか、3分類中で、たとえば ca'o なんかは経過、反復、継続相の3つの役割があります。

ほんじゃあ、たとえば、"kui"の終了相(食べきったあとの状態が終わる)や、アルカの状態動詞の将然、開始、経過に相当する表現はどうしよう?となります。ちなみに②については一番当てはまりがよいので、このようなズレは生じていない。

まず、①。ここでは、pu'oは「~経過相」を指示するが、「将然、開始、経過」をきちんと言いわけるためにはどうすればいいか。
これは、{gasnu}を使えばいいんじゃないですかね。{gasnu}は③に属する述語だと思うので、{gasnu lonu ~(状態動詞)}とすることで、あたかも状態動詞の行為部分を記述していることになると思われます。

pu'o gasnu lo nu djuno:知ろうとする(将前)
co'a gasnu lo nu djuno:知るために動きはじめる(開始)
ca'o gasnu lo nu djuno:知るために動いている(経過)
mo'u gasnu lo nu djuno (= co'a djuno):知ろうとするのが完了する/知る(完了)
ca'o djuno:知っている(継続)
co'u djuno:知り終わる/忘れる(終了)
ba'o djuno:既に忘れている/覚えてはいたがもう知らない(影響)

のように、{djuno}の7相を網羅できるかと思います。なお、{ba'o gasnu lo nu djuno}は状態段階(継続、終了、影響)を表している。


そして③。ここでは、たとえば、{mo'u citka}のあと、つまり、{ba'o citka}の細分化をはからないといけない。どうしたものか。
ひとつの方法は、{jalge}ですかね。「x1はx2の結果」くらいの意味なので、

jalge lo nu [mo'u] citka

は、「食べきりの結果」くらいになりそう。一応これを使ってみると、

pu'o citka:食べようとする(将然)
co'a citka:食べ始める(開始)
ca'o citka:食べている(経過)
mo'u citka / co'a jalge lo nu citka:食べきる/食べることの結果が生じ始める(完了)
ca'o jalge lo nu citka:食べたことの結果が生じている(継続)
co'u jalge lo nu citka:食べたことの結果が終わる(終了)
ba'o jalge lo nu citka:食べたことの結果が既に終わっている(影響)

くらいになる。けれど、まああんまり使いたくないな…。

※ 実際は、{lo jalge lo nu citka ZAhO fasnu}くらいにすべきかもしれない。

さて、これで一応、7相と互換を持たせられたが、新たな述語を持ちだしたのはあまり美しくない。ここで、相表現の精度は若干落ちるかもしれないが、純粋に相の語だけを用いて頑張ってみる。ロジバンは入れ子相が可能だからね!

①。{djuno}の行為段階全体は{pu'o djuno}で描写可能。なので、

pu'o pu'o djuno:行為段階以前だ(≒将然)
co'a pu'o djuno:行為段階が始まる(≒開始)
ca'o pu'o djuno:行為段階中だ(≒経過)
co'u pu'o djuno (= co'a djuno):行為段階が終わる(≒完了)

と、pu'o pu'o はちょっと怪しいけれど、概ねいけてるでしょう。

③。{citka}の状態段階全体は{ba'o citka}で描写可能。なので、

co'a ba'o citka:状態段階が始まる(≒完了)
ca'o ba'o citka:状態段階中である(≒継続)
co'u ba'o citka:状態段階が終わる(≒終了)
ba'o ba'o citka:状態段階が終わってしまっている(≒影響)

と、こっちもなんとなくいけそうな気もする。

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ロジバンにある{za'o}について。これは「完了点を超えて尚やってる」という「まだ~している」という意味を表す。…が、完了点って超えようなくない?と思いません?「リンゴを食べきった上で、さらに食べる」なんかできるのか。

・その1の考え
おそらくここでいう「完了点」(natural ending point)は、原理的な終了点のことではなくて、「当初想定されている目標点」というべきでしょう。たとえば、「今から10分走ってくる」っていってたのに20分経っても走っているとか。「7時には眠りから覚める」ってことだったのに、7:15時点でまだ寝てるとか。原理的な終了点はそれ以降の行為継続がありえないけれど、状態をやめる目標点のことを言っているなら、そこで状態をやめないことができるので、za'oは有意義。

・その2の考え
注意すべきは、{za'o}は{citka}がまだ行われているといっているのであって、{citka lo plise}「リンゴを食べる」がまだ行われているとはいっていないという点。za'o citka は、{citka}の延続であって、すなわち、{za'o citka lo plise}は「リンゴを食べ終わったのにまだ他のものを食べてる」ということになるかもしれない。

・その3の考え
ここでいう「完了点」は「完了点がきそうな時点」のことを言っている。たとえば、「リンゴを食べ始めて、5分後には食べきりそうだな」と思うとする。このとき、ここでいう「完了点」は5分後に設定されて、それを超えた時に「まだ食べてんのかよ」という意味で{za'o citka lo plise}ということができる。大事なのは、「完了点」は行為の進捗の点ではなくて、行為の進捗を参考にして決められる時間軸の点だということである。


個人的には「その2」はあまりすきじゃない。今までは「その3」で通してた。「その1」もありかな。でも、「その1」だと、行為動詞への適用ができない。多分、「その1」と「その3」がないまぜに使われていそう。というくらいで留めておく。

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多分これで最後。「相はどの範囲にかかるか」という話。

 たとえば、"luk" 「歩く」は移動動詞としてみれば、明らかに行為動詞で③、「テキトーに歩く」というのは不定動詞なので②。ここまではわかる。では、マラソンとか距離があらかじめ定められたウォーキングとかはどうだろ。マラソンは順路があるので、「テキトー」感がない。けれど、単に距離を決めただけのウォーキング(たとえば、「今日は10km歩くぞ」とか)では、移動の観点からすればなかなかに「テキトー」だよね。

 今まで散々、「目的の有無」が述語の定/不定をきめる、といったけれど、「目標の有無」というのも視野にいれていいと思う。

 そうなると、距離・時間を決めたただの散歩が定的になりうる。たとえば「10歩歩く」は累積のようで、きちんと完了点が存在するような動作だと思うんよ。たとえば、「リハビリで10歩頑張って歩いてみてください」というのに完了点がないのは寂しいでしょ。

 「目標の有無」を視野に入れると、累積的・反復的な動詞に対して「完了」という概念を考えることができるので、これはさきほどの延続にもつながってくる。

 [1]では、動詞1語のみの相の意味論を論じていたわけだけれど、実際には相は動詞句にかかっているとみるべきなんだろう。つまり、「何を1枠とするか」。まあアタリマエの話か

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 アルカの7相システムは、行為動詞と状態動詞を統合しているという点でいいシステムだと思う。じゃあ「真似すべきか」という話になるが、まあしなくてもいいんじゃないとは思う。みたように、7相システムは「行為動詞と状態動詞を連結するような考え」の元で有意義なのであって、そうでないような言語を作るなら、別に7相システムはいらんのかなと思う。たとえば、「座らせる」と「座っている」を別の言葉で表現するような言語をつくるなら、ことさら7相もいらない気もする。

 「なんらかの行為をしようとし、それが始まり、少しの持続があり、成立することでなんらかの状態が生まれ、それがある程度持続し、終わり、なんらかの跡を残す」という認識背景を元にしたのが7相システムでしょうけど、すべての現象をこの背景で捉えようとするのはそんなに直観的なものではないと思う(行為の成立によって生じる状態が何か、というのは文化依存的というか、人によってバラバラだと思う)。えっと、つまり、「新種の文化」だと思うので、徹底的な7相システムを考えているなら、辞書には動詞それぞれの7相での様子を書いておくべきだと思う。

 ともあれ、アルカのアスペクトシステムのおかげで、ロジバンにもいいことがありました。やったね!

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