Lojban Lessons - 22章 (sumtiの量化)
[注: 最初に言っておきますが、この章の分量はなかなか多いです(10章以来?)。ペンとメモを用意して読んだほうがいいかもしれません。一応補足記事として22.1章を作りましたのでそちらも読むといいかもしれません。]
The complete Lojban LanguageやLojban for Beginnersのようなほとんどの教材は、"xorlo案"--gadriの定義とgadriの量化におけるルール改定--の適用以前に書かれたものです。そういったテキストに今や穴が空いてしまっているので、新しい情報を詰め込んだ章を書かねばならないわけです
sumtiの量化は、ある規則の暗黙に言わんとすることを緻密に議論すると、すごく複雑になってしまいます。このテキストが最終目標--公式の"ゴールドスタンダード"、BPFKのルールが表すものに十分精確である--に達するには、この章は完成までに一番かかり、一番よく頻繁に書き直しされるものだと思われます。ミスを見つけた人はどうかぜひ私に連絡してほしいと思います。
つべこべいわず、始めていきましょうか。
最初に学ぶ概念は「分配性」です。14章で、分配的だとみなされる物体のまとまりに"個"という語を使いました。分配的な集団ko'aは、ko'a brodaが真ならば、その集団のすべての要素もbrodaで描写されるという性質をもったものです。これは(群が有する)非分配性とは対照的で、非分配的な集団はその要素とは異なる性質をもちます。分配性(たとえば個)と非分配性(たとえば群)の差は、sumtiを量化するときに関係してきます。
まずは、描写sumti(GADRI BRIVLAの形のsumti)の量化をどうするか考えましょう。量化を行う数字句はgadriの前におかれ、その場合、その数字句は外部量化詞となります。一方、gadriとbrivlaの間に置かれたときは内部量化詞になります。あらゆる数字句が量化詞として機能できます。
内部および外部量化詞がsumtiにどんな影響を及ぼすかは、そのgadriの種類によります:
--loとle-- 内部量化詞はいくつの対象が話題に上がっているかを表します。外部量化詞があるときは、そのsumtiはその数だけの対象に割り当てられます。先ほど述べたように、外部量化詞がなければ、selbriがいくつの対象に係っているのか(ゼロはありませんが)、それが分配的なのか非分配的なのかについて曖昧になります。例を出すのがいいですね:
mu lo mu bakni cu se jirna - 内部量化詞の5は話題にしているのが5匹の牛であるということを表し、外部量化詞の5は話題にした5匹のうち5匹ともこのbridiの内容に該当することを表しています。それゆえ、この意味は「5匹の牛すべてがツノを持つ」となります。
bakni x1はx2(種類)のウシ属動物
jirna x1はx2(本体)の角/触角
次のbridiはどういう意味ですか?
lo ru'ugubupu be li re pi ze mu cu jdima lo pa re sovda
ru'urgubupu x1はUKポンドでx2(数)である
jdima x1はx2の、x3(買者)・x3(売者)による価格/値段
sovda x1はx2(生体)の卵/卵子/花粉/配偶子
Answer:
「2.75UKポンドは12個の卵の値段だ。」
日本語訳では、卵それぞれが2.75ポンドとも(分配的)、12個の卵全体で2.75ポンドとも(非分配的)解釈できます。
so le ta pa pa ci'erkei cu clamau mi (taは内部量化詞の前にきていることに注意)
ci'erkei x1 はx2(主催者)・x3(ルール)の、x4の試合と関連した試合に出る
clamau x1 はx2よりx3(方向)・x4(差)だけ高い/長い
Answer:
この内部は11人の選手が話題にあがってあることを述べており、外部量化詞はselbriがそのうち9人に分配して係っているということを述べています。ですから、意味としては「あの11人の選手のうち9人が私より背が高い」
lo/leの量化に関していくつかポイントがあります:
第一に、{数字} {selbri} が{数字} lo {selbri}としてみなされるという点です。それゆえ、ci gerku cu batci re nanmuは ci lo gerku cu batci re lo nanmu と定義され、これは犬の集団が男集団に対して分配的であるとみなされます。ですから、その三匹の犬それぞれが二人の男をそれぞれ噛み、計6回噛んだということになります。
batci x1はx2(対象本体)・x3(対象箇所)をx4で噛む
[注: この話を少し掘り下げたいと思います。結構難しい話なので、飛ばしてもらって構いません。
pa nixla cu klaku と lo nixla cu klaku は同一の文ではありません。もちろん後者は少女の人数が文脈に依りますから、その意味でも異なります。しかし、文脈上lo nixlaが1人の少女を表していることが明らかでも、この2つの文はまったく同一ではありません。
lo nixli はどの範囲の少女を指しているのでしょうか?教室?町内?世界中?…これは純粋に文脈によって決まることで、文自体では決まりません。この文脈によって決まる範囲のことを、『議論領域』といいます。lo nixliが指す少女は議論領域の中にいる少女というわけです。
さて、lo nixli では、議論領域に複数の少女がいて、そのうちのどの少女を指すのかはやはり決まりません。文脈によって「あの子だろうな」と分かるくらいです。ですから、lo nixli cu klaku は、かなり真偽の微妙な文で、ある人は真と思い、ある人は偽と思うことがありえます。
一方で、pa nixla cu klaku の(lo) nixlaも議論領域の中にいる少女を指すのはさっきと同じです。しかしここからが異なる点で、pa nixla は、議論領域の中の少女全員の顔をチェックするのです。そして、議論領域の中に泣いている少女がきっちり1人いたときのみに真となります。つまり、議論領域が共通認識のうちにあれば、この命題はどんな人からも真偽が一致するわけです。外部数量詞は「調べ上げ」を起こすと覚えておくといいでしょう。
上の例文の、ci gerku cu batci re nanmu を考えてみます。外部数量詞のあるsumtiが2つ以上ある場合は左のものから順に処理していきます。今回は、ci gerku から。まず、議論領域の中の犬を調べ上げます。そして、その犬それぞれについて次は噛んだ男が議論領域内に何人いるか調べあげます。めでたく2人の男を噛んだ犬が3匹いることが判明すればこの文は真です。ここで注意したいのが、男を噛んだ犬はきっかり3人いますが、犬に噛まれた男は2人以上いるかもしれないということです。そのわけは…、上の文を読めば分かりますよね?]
第二に、外部量化詞が無いときです。そこには外部数量詞はあるにはあるが省略されているとみなすのでしょうか?いいえ。もしなにか外部量化詞があれば、省略されていようとなかろうと、それはsumtiを分配的にしてしまいます。つまり、loもleも(実際は使えるにもかかわらず)群を表すのに使えないということになってしまいます。それゆえ、外部量化詞が無い場合は、それは省略されているのではなく、単に存在していないということになります。外部量化詞のないsumtiは、意図しなくとも、ある数に参照されます。どれくらいの数なのかは文脈が決めてくれます。
第三に、内部量化詞よりも大きい外部量化詞は意味をなしません。これは、話題にしているよりも多くのsumtiに対してselbriが成り立つという意味ですが、これでは内部数量詞が機能していません。文法的には正しいですが...。
最後に、内部量化詞を付けるときに限り、sumtiの前にlo/leを置いてもかまいません。
lo/le {数字} {sumti} はlo/le {数字} me {sumti} ({数字}個の{sumti}に属するもの)と定義されます。
ではこれはどういう意味でしょう? mi nelci loi mi briju kansa .i ku'i ci lo re mu ji'i ri cu lazni
briju x1はx2(従業員)・x3(所)の職場/事務所/営業所/局
kansa x1はx2に、x3(事)において伴う/付き添う; x1とx2は一緒
lazni x1(者)はx2(動作/仕事/努力/事)に関して怠惰/怠ける; x1はx2を怠る
Answer:
私は仕事仲間が好きだが、彼ら約25人のうち3人はぐうたらだ
--la-- 内部量化詞はその名前がselbriであるならば文法的に正しく、この場合、その数字は名前の一部とみなされます。外部量化詞はそういった個(lo/leのような)を分配的に量化するのに使われます。 {数字} {sumti}の前に置いても構いません。その場合は、その数字とsumtiの両方とも名前とみなされます。
次のものを訳してください: re la ci bargu cu jibni le mi zdani
Answer:
二つの"3つのアーチ"は私の家の近くにあります。(もしかすると、3つのアーチはレストランの名前かも?)
--loiとlei-- 内部量化詞はその話題となる群にいくつの要素があるかを表します。外部量化詞は分配的に(!) これらの群を量化します。
複数の群は非分配的とみなされる集団からなる一方で、外部量化詞は常にその複数の群を個として取り扱います。
{数} {sumti}の前に置かれた場合、loi/leiは、lo gunma be lo/le {数} {sumti} -- {数}個の{sumti}からなる群 -- と定義されます。
次の文を訳してみましょう: re dei gunma re loi ze valsi .i ca'e pa dei jai gau jetnu
gunma x1はx2(要素)からなる群/団
valsi x1はx2(意味/効力)を有する、x3(言語)の言葉/語彙
ca'e 心態詞: 認識系: 私は定義する
jetnu x1(命題)はx2(認識体系)において真実/本当
Answer:
「これら2つの発話はそれぞれ7語でなる2つの群からなる群である。私は定義する:この発話は真である」
[注: 毎度のことながら、群の量化は理解し難いですね…。
loi A はAであるようなものからなる群ですね。{}を群のくくりとします。
loi 3 A は {A A A}であり、2 loi 3 A は {A A A} {A A A}を表します。]
--lai-- laのように、内部量化詞は(名がselbriのとき)、その名の一部となります。外部量化詞は群を分配的に量化します。数+sumtiの前では、sumtiも数字も名前に変換します。
loi, lei, laiを量化する外部量化詞として小数が使われるとき、その群の一部について話すということになります(たとえば、「その武田グループの半分」はpi mu lai .takedas.となります)。
-- lo'i とle'i -- 内部量化詞はその集合の要素の個数を表します。外部量化詞はそういった集合のいくつかを分配的に量化します。数とsumtiの前に置かれたとき、lo selcmi be lo/le {数} {sumti} -- {数}個の{sumti}からなる集合 -- と定義されます。
次を訳せ: lo'i ro se cinki cu bramau la'a pa no no lo'i ro se bogykamju jutsi
cinki x1はx2(種類)の昆虫綱(甲虫/チョウ/ハエ/ハチ/カメムシ/バッタ/トンボ…目)
la'a 心態詞: 談話系: たぶん
bramau x1 はx2よりx3(次元)においてx4(差)だけ大きい
bogykamju x1 はx2(種)の脊椎動物 (bog > bongu = 骨、 kamju = 柱)
jutsi x1はx2(属)・x3(科)の生物種
Answer:
「昆虫の種すべての集合はたぶん脊椎動物の種すべての集合100個よりも大きい」=「昆虫の種すべての数はたぶん脊椎動物の種すべての数の100倍よりも大きい」
--la'i-- laiと同様です。群gadriのように、集合gadriの前に置かれた外部量化詞は、集合の一部分について話すことを可能にします。数とsumtiの前では、lo selcmi be la {数} {sumti} -- {数}個の{sumti}からなる集合(という名前) -- と定義されます
--lo'e と le'e-- これらはいくつかの理由により現在まともなgadriの提案がありません。他のgadriのルールを拡張してその代用をするなら、lo/le が多分に最善でしょう(そのどちらも群よりは個を表すからです)。ですので、内部量化詞によって与えられたいくつかの典型的/偏見的物体に外部量化詞が分配性を強制するのを期待するでしょう。
複数の物体を表すsumka'iを量化する際、それらは大抵群であることを覚えておくと便利です。定義では、{数} {sumti} は {数} da poi ke'a me {sumti} となっています。
数章先までdaについては触れませんが、この文脈では「なにか」という意味ととってください。それゆえ、ci mi は「我々に属する人々のうち3人」を意味します。こういった群を量化する際、meによって示唆される関係は群の所属関係であると想定してよく、それゆえ ci mi は「我々のうち3人」となります。
具体的に何か定まっていないようなselbriや対象を量化する際は、「論理的量化変項」なるものを使います。これらはその量化の方法と一緒に27章で学びます。
最後に、砂糖や水といった不可算な物質を量化したいときはどうすればいいでしょう?ひとつは曖昧な数字を使って量化する方法です。しかし、この方法はどういった尺度(単位)で測ったのかすら指定しないので曖昧すぎます。: 砂糖はたくさんの結晶の集団とみなせ、その一粒一粒を1と数えることもできます。水の場合は、当の水の本体を構成する水滴の量(もしくは水分子の個数)で数えることができるでしょう。こういったやり方は別に間違ってはいないものの、あまり正確ではないし、なにより紛らわしく誤解しやすいです。
非可算性であることを明確にするためには、内部量化詞として空(くう)なる語 tu'o を使うといいでしょう。
tu'o 空集合(φ)。
この解決策はエレガントかつ直感的です。xorlo案の元文には次のような恐るべき、しかし滑稽な例があります:
le nanmu cu se snuti .i ja'e bo lo tu'o gerku cu kuspe le klaji
snuti x1(事/状態)はx2(観点)にとって事故/偶然
ja'e sumtcita: BAI (jalge由来): bridiは{sumti}という結果になる
kuspe x1はx2(間隔/領域)にわたる; x2はx1の範囲/範疇
klaji x1はx2(所)における、x3につながる街路/通り/回廊
さあ、どういう意味でしょう?
Answer:
「その男はある事故に遭遇し、その結果、犬(非加算)はその街路にわたっていた。
[注:たしかにおそろしいですね。非可算な犬・・・・つまりは肉片でしょうね・・・・]
物質を量化する2番目の方法は、10章でやったように、テンスve'i, ve'a, ve'uを使う方法です。:
ti ve'i djacu - 「これは少ない量の水です」
djacu x1は水; x1は水溶性/含水の
三番目は、もちろん、正確な尺度を与えるbrivlaを使うことです:
le ta djacu cu ki'ogra li re pi ki'o ki'o - 「あの水は2.000000キログラムある」
ki'ogra x1 は群で測って、x2(数)kgである。なお、基準はx3。