"論理接続詞"の"論理"という語は、論理接続詞が真理関数と関係があるということを表しています。しかし、すべての有用な接続詞が真理関数を通して定義できるとは限らないので、論理接続詞の他にも接続詞があります。
論理接続詞の意味は、その論理接続詞によって繋げられた2つのbridiと同じであるとして定義されます。たとえば、mi nitcu do .a la .djan. はmi nitcu do .ija mi nitcu la .djan. に相当します。この定義はしっかりと覚えておきましょう。というのも、その意味合いを変えること無しにsumtiを論理接続詞で繋ぐことができないこともあるからです。
次の文を考えてみて下さい:「ジャックとジョーはこの劇を書いた。」 試しに訳を作ってみるとこんな感じになるでしょう: ti draci fi la .djak. e la .djous.
draci x1はx2(内容)・x3(作家)・x4(観衆)・x5(役者)の(舞台)劇
この訳の問題点は、ti draci la.djak. ije ti draci la .djous. と解釈されてしまうことです。これは言いたいこととはずれます。ジャックもジョーもそれは書いておらず、彼らは一緒にそれを書いたのです。もちろん、ここで欲しいのは群であり、ジャックとジョーをひとつの群にまとめる方法が必要なわけです。これは真理関数とはほとんど関係がないので、非論理接続詞、selba'o JOIを使う必要があります。ちょっと後でジャックとジョーの問題に戻ることにして、まずはJOIの単語4つをみてみます。
ce | ce'o | joi | jo'u | |
結合後の形 | 集合 | 順序対 | 群 | 個の集団 |
これらの語の機能は単純です:lo'i remna jo'u lo'i gerku は人間の集合と犬の集合を分配的に(個として)みなします。22章(量化詞)で、"分配的"とはある集団で真であるならばその要素それぞれについても真となることであったことを思い出して下さい。同様に、loi ro gismu ce'o loi ro lujvo ce'o loi ro fu'ivla はすべてのgismuの群、次にすべてのlujvoの群、次にすべてのfu'ivlaの群からなる順序対となります。
[注:数学の座標なども順序対で表せます。(2, 3)はli re ce'o li ci となります。]
固有の順序をもつJOIに関しては、seがその順序をひっくり返すためにce'oの前に置かれるときがあります。"A ce'o B"と"B se ce'o A"は同じです。
それでは、「ジャックとジョーがこの劇を書いた」を正しく訳してください。
Answer: ti draci fi la .djak. joi la .djous.
JOIのcmavoはとても柔軟性があります: これらはsumti接続詞のようにもtanru内部的接続詞のようにも働くことができ、それゆえ、sumti, selbri, bridiを繋げるのに使われます: この柔軟性のために、fa'orma'oを正しく使うよう注意しなければなりません。
lo dotco jo'u mi cu klama la dotco gugde のどこがおかしいでしょうか?
Answer: jo'u はselbriの後に置かれているので、selbriとselbriを繋げるものだと期待されますが、その後にselbriは見つかりません。jo'uの前にkuがあれば、文法的に正しくなります。
複数のJOIが使われるとき、boやkeが使われることがあります。 mi joi do ce'o la .djak. joi bo la .djous. cu pu'o ci'erkei damba lei xunre - 「私とあなた、次にジャックとジョーがもうすぐ赤組と格闘試合だ」。次の文と見比べてみて下さい: mi joi do ce'o la .djak. joi la .djous. cu pu'o ci'erkei damba lei xunre - 「まず私とあなたが、次にジャックが、ジョーと一緒に赤組と格闘試合をするだろう」
damba x1はx2と、x3(事)に関して格闘する/戦う; x1は戦士/格闘家
JOIでbridiを繋げると、そのbridiの間にある興味深い暗黙裡の関係が生じます: la .djak morsi ri'a lo nu ri dzusoi .i joi le jemja'a po ri cu bebna - 「ジャックは死んだ、なぜならば彼は歩兵で兵隊長が馬鹿だったから。」 これは、この群としてまとめあげられた2つのbridiが彼の死の物理的原因であるということを案に意味しています。つまり、彼が戦車に乗れていたか、まともな指導者に巡りあえていたかのどちらかでさえあれば、彼は生き残っていたのかもしれません。
dzusoi x1 はx2(軍)の歩兵
jemja'a x1 はx2(軍)のx3(役割)における長
bebna x1はx2(性質)に関して愚か/ばかげている/思慮が無い; x1は阿呆/馬鹿
非論理接続詞はnaiで否定されることもあり、他の接続詞が適切であるということを示します: lo djacu ce'o nai .e'o lo ladru cu cavyfle fi le mi tcati - 「私の紅茶に、水の次にミルクを入れないで下さい」 これはもちろん、どの接続詞が適切かについては何も述べていません - se ce'o(まずミルクを、次に水を)と推測するかもしれませんが、.e nai(水だけで、ミルクは入れない)が正しいとしか言えません。
cavyfle x1はx2(成分)からなっており、x3へx4から流れ出る
jiやje'iを使った疑問文への答えには論理接続詞と非論理接続詞の両方とも使えます: A: ladru je'i sakta le do ckafi B:se ce'o (「コーヒーにミルクか砂糖いる?」「砂糖を入れて、次にミルクを入れて」)。この場合、砂糖やミルクはコーヒーの中では均一に混ざってしまうので、ceは全く何の意味もありません。また、砂糖がそこに溜まっているコーヒーが好きでない限り、joi(砂糖を入れたミルクを下さい)というのはjo'u(それらどちらも)と同じです。
今から紹介する5つ目のJOIは少し変わり者です。
fa'u 非論理接続詞: それぞれに分配 (AとBそれぞれ)
fa'uがひとつのbridi(もしくは接続詞で繋がったbridi)内でひとつだけ使われる場合、fa'uはjo'uと同一のものとして扱われます。しかし、複数のfa'uが使われた場合、fa'uの前の構造がお互いに係り、fa'uの後の構造がお互いに係ります。説明じゃ分かりにくいと思うので例を見ましょう:
mi fa'u do rusko fa'u kadno - 「僕と君はそれぞれロシア人とカナダ人だ」。これはmiがruskoにdoがkadnoに係っています。もちろん、この例ではmi rusko .i do kadnoと書いたほうが一層簡単です。
rusko x1はx2(性質面)に関してロシア系(言語/文化/民族)
kadno x1はx2(性質面)に関してカナダ系(言語/文化/民族/地理)
最後の3つのJOIは2つの集合から新たな集合を作ります:
jo'e A と Bの和集合
ku'a A と Bの共通集合
pi'u AとBの直積集合
一般的なロジバニストにとってはこれらはあまり使えるものではありませんが、ここで取り扱うのがよいかと思います。
まず、jo'eは2つの集合からひとつの集合を作ります。この新しい集合はAとB両方の要素を含みます。重複するものは一度だけ数えます。
ku'aから作られる集合はA,B両方にある要素のみを含みます。
pi'uは上の2つより少し複雑です。A pi'u Bという集合は、"a ce'o b"というすべての可能な組み合わせを含みます。ここで、aはAの集合要素、bはBの集合要素です。つまり、要素の順列の集合となります。たとえば、集合Aは要素p,qからなり、集合Bは要素f,gからなるとすると、このときA pi'u Bは4つの要素 p ce'o f, p ce'o g, q ce'o f, q ce' g からなる集合となります。
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