2013/05/14

Lojban lessons – 7章 (NOI)

Lojban lessons – 7章 (NOI)

[注:分かりやすさのため、少し改変している箇所があります。]


 この章では、従bridiのもうひとつの形について学んでいきます。いわゆる関係節です。関係節とは、あるsumtiにいくらか説明を加えるような文のことをいいます。英語では、whichが先行詞の直後にきて、その後に関係節がきます。ロジバンでは関係節が二種類あり、表現の仕方を学ぶ前にこの二つの違いをしっかりと理解することが重要です。

この二つは制限用法と非制限用法と呼ばれます。例を挙げます:「身長2mの弟は政治家です」。これには二通りの解釈があります。ひとつは、何人か兄弟がいて、そのうち身長が2mある弟について話しているという解釈で、もうひとつは弟は一人しかおらず、単に補足情報として身長について述べたという解釈です。

 英語でもこの二つを区別します。最初の解釈が制限用法であり(話題にしている対象を「制限」している)、二つ目が非制限用法です。英語では、文脈や声のトーン、カンマによってこの二つを区別しますが、ロジバンは違います。ロジバンでは構造語poi...ku'oとnoi...ku'oをそれぞれ制限用法、非制限用法に使います。

[注:残念ながら、日本語はこの二つを区別しないので非常に訳し分けにくいです。]

 いよいよロジバンでの例を見ていきましょう。5章で考えた贈り物を食べるというおかしな例文をもう一度みてみます。

noi 非制限用法的関係節を始める (sumtiにのみ係る) 
poi 制限用法的関係節を始める(sumtiにのみ係る) 
ku'o 関係節を終わらせる

ke'a sumka'i; 先行sumti(noi,poiが係っているsumti)を指す
mi citka lo se dunda ku poi ke'a plise ku'o = 「私は林檎である贈り物を食べる」
lo se dunda に対して、 ke'a plise というbridiが係っています。関係節なので、poi ... ku'oで囲んでいます。ke'aはsumka'i(ロジバンの代名詞)の一種で、関係節が係っているsumti(すなわち先行sumti)を表します。
つまり、
mi citka lo se dunda ku
lo se dunda ku plise
の2つの文が1つになっていると考えることができます。
(厳密には最初のlo se dunda ku と最後のlo se dunda kuがまったく同じものを指しているとは限りませんが、形式的に書くとこうなるということです。)

上の文はこう書くこともできます:
mi citka lo se dunda ku poi plise ku'o
あれれ、ke'aが関係節内に存在しませんね。これではlo se dunda ku とその関係節の間にどういう関係があるか分からない!と思うかもしれませんが、こういうときのためにある規則を設けています。それは、ke'aが省略されている場合は、空白の(zo'eが入りうる)場所にke'aを想定し、そのあと他の空白をzo'eで埋めるというものです。逆に考えると、ke'aは省略できるのです。

しかし、たとえば、次の文を考えてみましょう。
mi klama lo zdani ku poi mi dunda ku'o
mi dunda は lo zdani ku に係っています。ke'aがありませんね。考えられるパターンは2つあります:
① mi dunda ke'a zo'e - 私がそれを何かに与える
② mi dunda zo'e ke'a - 私が何かをそれに与える
文脈的には①が合ってそうです。①②それぞれの解釈で訳してみます。
①「私は私があげた家に行く」
②「私は私が何かをあげた家に行く」
①は単純に私がプレゼントした家に行くわけです。②の解釈はすこし難しいですが、家に対して何かあげた、つまりインテリアグッズを置いたとかを施した家に行くと考えられます(dundaのx3に物を当てはめることができるかどうかは微妙なところですが)。
おっと…、この文では解釈が2つ出てきてしまいました。これは安易にke'aを省略してはいけないということです。あくまで、聞き手にきちんと伝わるならば省略できる、ということですね。

ですが、慣習的には、最初にきた空白にke'aを想定することが多いです。つまり先程の文は①と大体において解釈されます。②を想定してきちんと伝えるためには、
mi klama lo zdani ku poi mi dunda zo'e (ke'a) ku'o
といえばいいでしょう。


.ui mi citka lo se dunda ku poi ke'a plise ku'o = 「やった、私は林檎である贈り物を食べる」

制限用法と非制限用法の違いをみるために、もうひとつ例を挙げます:


lojbo x1はx2(性質面)に関してロジバン系

mi noi lojbo ku'o fanva fo lo lojbo ku =「私は、ロジバニストなのですが、いくつかのロジバン的言語から訳します。」
今回、miが複数の対象を指すことはないので、私がロジバニストであるという事実は単なる補足情報にすぎません。よって、noi...ku'oがふさわしいわけです。
次の文を訳してみてください: 「私は美しい男といちゃつく」

nanmu x1は男性
melbi x1はx2(審美者)にとってx3(性質)・x4(審美基準)において美しい/綺麗
cinjikca x1はx2といちゃつく、x3(性的特徴)・x4(観察者)を表しながら。

Answer: mi cinjikca lo nanmu ku poi {ke'a} melbi ku'o
[注: tanruでもいいのではないかと思うかもしれません。しかし、tanruでは厳密に男が美しいということを表せないということは覚えておいてください(3章)。]

少し専門的な話をすると、lo {selbri} ku はよくzo'e noi ke'a {selbri} ku'oと定義されるのを知っておくと役に立つかもしれません。

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