まだロジバンのテンスについて完全に網羅はできていないですが、このタイミングで覚えておきたいテンスがあります。「事象コンツア(event contours)」とでもいうべきもので、今まで見てきたテンスとは異なる観点を表します。さて、それでは始めましょう:[注:従来の文法用語では「相」と呼ばれるもののことです。ここでは相という用語は使わず、「事象コンツア」を使うことにします。]
今までに習ったテンスを使えば、不明瞭な時間軸を想像し、そこに「今」を基準に出来事を置くことができます。しかし、事象コンツアを使うと、出来事がそのプロセスのどの段階にあるのかを表すことができます: 始まろうとするところ、始まったところ、最中、終わるところ、既に終わったところ、などなど。つまり、事象コンツアは、他のテンスで指定された時間の間にその出来事の過程のどの部分が起こっているのかを我々に教えてくれるのです。まずは二、三個テンスが必要ですね:
pu'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiは{sumti}の間、まだ起こっていない
ca'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiは{sumti}の間、最中にある
ba'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiの過程は{sumti}の間、既に完了している
いくらか例をあげましょう。次の文を訳してください。
.ui mi pu'o {ku} se zdani {vau}
Answer: 「やった、私は家を所有するところです。」
しかし、はてさて、.ui mi ba {ku} se zdani {vau} じゃダメなのか、そっちの方がコンパクトだし、との声もありそうです。未来において家を持っているというのは、
ところで、mi ba {ku} se zdani {vau} とmi pu'o {ku} se zdani {vau} は似たような意味になります。ba'oとpuも同様です。 それならなぜ事象コンツアが用意されているのかというと、 他のテンスは現在から出来事を見つめるのに対して、 事象コンツアはその過程という観点から現在を見つめるからです。
しばしば、事象コンツアは他のテンスに比べてより正確です。 いくつかのテンスを結合することによってより一層明確になります 。: a'o mi ba {ku} zi {ku} ba'o {ku} gunka {vau} - 「あと少しで仕事が終わるといいな」
出来事の「自然な開始」と「自然な終了」を扱うこともできます。 ここで「自然」とはかなり感覚的なもので、 自然な終了はその過程の終わるべき/ 終わってもよい時点を指します。 たとえば遅延した電車については、 到着が自然な終了の時点より伸びたと考えることができます。 未調理なのにテーブルに出された料理は、 食べるという過程の自然な開始の時点以前に食べられています。 こういった表現は次の語でできます:
za'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiは{sumti}の間、いい頃合い(自然な終了時点) を越えてなお最中にある。
xa'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiは{sumti}の間、時期尚早に( 自然な開始時点以前に)その最中にある。
cidja: x1はx2(摂食者)のための食べ物/食糧/餌
次を訳しなさい:しばしば、事象コンツアは他のテンスに比べてより正確です。
出来事の「自然な開始」と「自然な終了」を扱うこともできます。
za'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiは{sumti}の間、いい頃合い(自然な終了時点)
xa'o - sumtcita: 事象コンツア: bridiは{sumti}の間、時期尚早に(
cidja: x1はx2(摂食者)のための食べ物/食糧/餌
.oi do citka za'o lo nu do ba'o {ku} u'e citka zo'e noi cidja do {vau} {ku'o} {vau} {kei} {ku}
Answer: 「おい、とっくに(驚き)食べ終わってもいいはずなのに、君はまだ食べ続けている。」
図の上半分のテンスは一定時間にわたるような段階を、 下半分のテンスは瞬間的な段階を示します。
これらのテンスは時間幅のある段階を描写してきました( グラフ上部参照)。しかし、事象コンツアの多くは、 開始点のような、段階の瞬間を描写します。caとbu' uがそうであったように、 実際はその一点から前後に少しだけ広がっており、 正確である必要はありません。
最も重要な瞬間的事象コンツアのうちの二つを挙げます:
co'a - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、それの始まりにいる
Answer: 「おい、とっくに(驚き)食べ終わってもいいはずなのに、君はまだ食べ続けている。」
上図:ZAhOテンス(事象コンツア) |
図の上半分のテンスは一定時間にわたるような段階を、
最も重要な瞬間的事象コンツアのうちの二つを挙げます:
co'a - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、それの始まりにいる
co'u - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、それの終わりにいる。
さらに、プロセスが完了してもよさそうな時点( 必ずしもそこで終わるわけではない)があります:
mo'u - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、自然な終了時点にいる
そうはいっても、ほとんどは実際自然な終了時点で終わります。 そりゃ、そこが終わるのに尤もな時点なわけですから。 電車はふつう遅れないし、人はふつう 食べられるものだけを食べるように自らを躾けます。
プロセスが中断したり再開したりすることもあるので、 こういった点に対応する事象コンツアもあります:
de'a - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、中断している
さらに、プロセスが完了してもよさそうな時点(
mo'u - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、自然な終了時点にいる
そうはいっても、ほとんどは実際自然な終了時点で終わります。
プロセスが中断したり再開したりすることもあるので、
de'a - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、中断している
di'a - sumtcita: 事象コンツア: bridiは {sumti}の間、再開している
実際、jundiは「x1はx2に注意する」 という意味ですから、de'a jundiとdi'a jundiは「すぐ戻ります(Be Right Back)」と「ただいま(back)」 に対するロジバンの一般的な表現です。もちろん、 事象コンツアそれ自体のみを言って、 そういう意味に理解してもらうことを望むこともできます。
実際、jundiは「x1はx2に注意する」
最後に、co'iを使って、 事象全体を一点として扱うこともできます。
penmi : x1はx2にx3(場所)で会う
mi pu {ku} zi {ku} co'i {ku} penmi lo dotco prenu {ku} {vau} - 「ちょっと前に、私はドイツ人に会うという時点にいた。」
penmi : x1はx2にx3(場所)で会う
mi pu {ku} zi {ku} co'i {ku} penmi lo dotco prenu {ku} {vau} - 「ちょっと前に、私はドイツ人に会うという時点にいた。」
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