2013/05/26

Lojban Lessons - 25章 (論理接続詞)


Lojban Lessons - 25章 (論理接続詞)




『ロジバニストに尋ねた。「コーヒーにミルクか砂糖いりますか?」。すると彼女はこう答えた:「その通り」』

機知に富んだジョークですが、これはこういった質問を尋ねるときの日本語のやり方が奇妙だということを表しています。字面は真/偽を問う疑問文であるのに、実際は違うわけです。ロジバンではこういった矛盾は撲滅しないといけないので、この種の疑問文を尋ねる他の方法を探さなければなりません。少し考えてみると、妥当かつ簡単な方法はなかなか見つかりません。ロジバンは、あまり簡単ではありませんが、妥当である方法を採用しました。

説明する前に、bridiを2つに分けます。bridi1: 「私はコーヒーにはミルクが好きだ」、 bridi2: 「私はコーヒーには砂糖が好きだ」。両方のbridiとも真偽を問えるものです。bridiの真偽によって4通りの組み合わせがあります。
A ) 1 かつ 2 B ) 1 だが、2ではない
C ) 2 だが、1ではない D )1でも2でもない

私は、実際のところ、コーヒーにはミルクを入れるのが好きで、砂糖が入ってるかどうかにはこだわりません。それゆえ、私の好みはA)true B)true C)false D)false と書けます。さらにコンパクトな書き方があり、私のコーヒーの好みは TTFF、つまり true, true, false, false と書くことができます。同様に、ブラック(ミルクも砂糖も無し)が好きな人はFFFTとなります。この"true"と"false"の組み合わせのことを"真理関数"と呼びます。今回の場合は、「私はコーヒーにはミルクが好きだ」と「私はコーヒーには砂糖が好きだ」という2つの文についての真理関数です。文の順番を入れ替えると結果が変わってしまうことに注意してください。
ロジバンでは、4つの真理関数を取り扱い、これらを基礎的なものとみなします:
A: TTTF (少なくともどちらか一方)
O: TFFT (共に真または共に偽)
U: TTFF (後部の真偽にかかわらず)
E: TFFF (共に真である)

この例では、それぞれ次のように訳せます: A:「ブラックだけは嫌」、O:「ミルクと砂糖両方か、どっちも無しかでお願い」、 U:「ミルクで。砂糖はどっちでもいいわ」、 E:「ミルクと砂糖両方お願い」

ロジバンでは、真理関数に相当する語を2つのbridi、selbri、sumtiの間に挟みます。そういった語は論理接続詞と呼ばれています。sumtiの間のその真理関数に相当する語は .aと.oと.uと.eです。まあなんて素敵な。例を見ましょう: 「私はアメリカ人とドイツ人と友だちだ」は、 lo merko .e lo dotco cu pendo miとなります。
「私は君か誰もいないところに話しかける」はどう言いますか?

Answer: mi tavla do .e no drata これは実際は「私はあなたに話しかける」は真であるということを述べていることに注意してください。

もうひとつ: 「私はチーズが好き、コーヒーが好きだろうがなかろうが。」
ckafi x1はx2(種類)のコーヒー

Answer: mi nelci lo'e cirla .u lo'e ckafi

可能な真理関数の値は16種類あることは容易にわかります(2の4乗です)。なので、あと残り12個を学ばなければなりません。うち8個は前半か後半の文を否定することで得られます。前半はnaを真理関数語の頭に付けることで否定され、後半はnaiをその語のあとに付けることでなされます。たとえば、.e はTFFFを表すので、 .e nai は「1は真で、2は偽である」、FTFFとなります。同様にして、 na .aは「1は真で2は偽、ではない」、TFTTとなります。こういった変換を頭の中でリアルタイムでするのはとても、とても難しいので、一般的な論理接続詞の働き方を学ぶのに集中して、それから論理接続詞を暗記するのがいいと思います。

残り4つの関数(TTTT, TFTF, FTFT, FFFF)はこういう風には作れません。TTTTとFFFFはどうやっても論理接続詞では作れませんが、どうあれ不要な類のものです。仮想的な論理接続詞を考えてやると、「私はコーヒーにはミルク FFFF 砂糖が好きだ」は、「私はコーヒーが好きではない」に相当する文になり、ただややこしく言っただけになります。残る2つ、TFTFとFTFTは .uの頭に懐かしのseを付けてやることで作れます。seは2つの文をひっくり返します。たとえば、se .u は、「Bだ、Aにかかわらず」となります。これはTFTFですね。最終的な論理接続詞のリストを以下に載せておきます。

TTTT: 作成不可
TTTF: .a
TTFT: .a nai
TTFF: .u または .u nai
TFTT: na .a
TFTF: se .u
TFFT: .o または na .o nai
TFFF: .e
FTTT: na .a nai
FTTF: na .o または .o nai
FTFT: se .u nai
FTFF: .e nai
FFTT: na .u または na .u nai
FFTF: na .e
FFFT: na .e nai
FFFF: 作成不可

論理的には、たとえば mi nelci lo'e cirla .e nai lo'e ckafi といった論理接続詞を伴う文を言うことは、同じ論理接続詞で繋がれた2つのbridiを言うのに等しいです: mi nelci lo'e cirla .i {E NAI} mi nelci lo'e ckafi このようにして、論理接続詞の機能が定義されます。次は、論理接続詞をbridiに係らせる方法を学びましょう。

核となる論理接続詞の語の直前にjを置くことで、2つのselbriを繋げます。例えば、 mi ninmu na jo nanmu は「私は男か女かであるが、どちらともではない」となります。
ninmu x1 は女性

これは"tanru内部的(tanru-internal)"です。"tanru内部的"とは、tanruを形成するときでさえ、selbri同士を緩く結合するという意味です: lo dotco ja merko prenu は、「ドイツ系かアメリカ系どちらかの男」となります。この結合は通常のtanruの括りよりも少しだけ強く(特定の括り語よりかは遥かに弱い)、lo dotco ja merko ninmu ja nanmu は(dotco ja merko) (ninmu ja nanmu)と解析されます。selbriの論理接続詞は.iに係って2つの文を結合することもできます: zo .kim. cmene mi .i ju mi nanmu - 「私はキムと呼ばれている、私が男かどうかにかかわらず」 .i je という組み合わせは、どちらの文も真であるということを述べており、論理接続詞が無い場合に想定されるのと同じです。

意地悪なまでに難しい問題: 論理接続詞を使って、「もし君がボブと呼ばれるなら、君は男だ」をどうやって訳しますか?

Answer: zo .bab. cmene do .i na ja do nanmu つまり、ボブと呼ばれることをB、男であることをMとしたときに、「Bが真で、Mが真」、「Bが偽で、Mが偽」、「Bが偽で、Mが真」であるということ。禁制の組み合わせは「Bが偽で、Mが真」だけです。これはつまり、「君がボブと呼ばれるということが真であるならば、君は男でなければならない」という意味になります。

悲しい悲しい出来事、「私は泣いて、自分の犬を放り去った」を訳してみるとき、ある問題にぶつかります。
selbriの間にjeを入れて言おうとすると、論理接続詞の定義によれば「私は犬を流して泣き、犬を放り去った」となってしまいます。人というのは涙とか血とかを流して泣きはするものの、犬を流して泣くなんてことはしません。
しかし、bridi末端論理接続詞(以下、BTLC -- bridi-tail logical connectives)を使うことでこの問題を回避することができます。BTLCのすることは、先行のsumtcitaとsumtiはBTLCで結合したselbriどちらにも係り、後続のsumtiやsumtcitaは後者のselbriにのみ係るということです: 喩えるなら、bridiが1つの頭と2つの尻尾を持っているということです。
BTLCの形は gi'Vです。ここでVとは真理関数の母音です。
それではさっきの文をロジバンに正しく訳してください。

Answer: mi pu klaku gi'e dunda le mi gerku

ro remna cu palci gi'o zukte lo palci はどういう意味ですか?
palci x1はx2(基準)において悪質/非道/堕落的

Answer: 「人間はみな、非道であれば非道なことをし、非道でなければそんなことはしない。」=「人間は、悪い者のみが悪事を働く。」

さらに、真理関数の母音の前にgを置いて作られた、先見的なtanru内部除外的な接続詞があります。ここで、「先見的」とは、接続するものの前に置かれ、言う前にその文の文法構造について考えれるという意味です。tanru内部除外的とは、それがsumti、bridi、selbri、bridi末端の間では使えるが、1つのtanruの中の2つのselbriには使えない、という意味です。
その機能を見るために、上の例文を書きなおしてみます:
go lo remna cu palci gi lo remna cu zukte lo palci
こういった構造における最初の論理接続詞の意味は、真理関数値に対応する母音がもたらすものと同じです。2つ目の論理接続詞は常にgiで、.iのように、真理関数値を持っていません。それは単に2つの繋がった要素を分ける仕事をします。最初、もしくは二番目の文を否定したくなったら、(最初の文を否定するなら)最初の、(二番目なら)二番目の論理接続詞の後ろにnaiを付け加えます。
この構造が適切に終わるのならば、次の例が示すように、それは特筆すべき柔軟性を持っています:
mi go klama gi cadzu vau le mi zdani - 「私は自分の家へ行く、歩くその時に限って」、つまり「私は歩いてでのみ自分の家に行ける」 vauはle mi zdaniがcadzuとklama両方に係るようにするために必要です。
se gu do gi nai mi bajra le do ckule - 「君がどうであれ、私ではない、君の学校へ走るのは。」つまり、「君が何をしようが、私は君の学校へ走るつもりはない。」

gVのtanru内部的な相当語はgu'Vです。tanru内部的かどうかと、selbriを通常のtanru括りより強くgiに結合させるが、明らかなsumti結合よりは弱いということを除けば2つは全く同じです。
la xanz.krt. gu'e merko gi dotco nanmu = la xanz.krt. merko je dotco nanmu

さて、「コーヒーにはミルクか砂糖がいりますか?」の尋ね方を学ぶのに必要な知識をつけるために、ここまでやってきました。単に、maのような普通の論理接続詞の代わりに疑問論理接続詞を置いて、聞き手に正しい語句で埋めるように頼めばいいのです。残念ながら、これらの疑問論理接続詞は尋ねたい論理接続詞の形態と必ず一致しているとはかぎりません:
ji  疑問論理接続詞: sumti論理接続詞(A)を尋ねる
je'i  疑問論理接続詞: tanru内部的selbri論理接続詞(JA)を尋ねる
gi'i  疑問論理接続詞: bridi末端論理接続詞(GIhA)を尋ねる
ge'i  疑問論理接続詞: 先見的tanru内部除外的論理接続詞(GA)を尋ねる
gu'i  疑問論理接続詞: 先見的tanru内部的論理接続詞(GUhA)を尋ねる

さて…、というわけで、彼女はコーヒーにはミルクか砂糖がいるかどうかを尋ねてみましょう。
ladru x1はx2(起源)のミルク/牛乳; x1は乳性/酪農の
sakta x1はx2(資源)・x3(成分)の砂糖/果糖/ブドウ糖/乳糖

解答例: sakta je'i ladru le do ckafi しかし、より日本語的に、あまりエレガントでないものでも十分でしょう: do djica lenu lo sakta ji lo ladru cu nenri le do ckafi

[注:個人的な疑問ですが、sakta je'i ladru le do ckafi で合ってるんだろうか…。これだとle do ckafiは2位に来てしまう気がするけど。正しくは sakta je'i ladru fa le do ckafiか?]

[注:sumti接続詞は表としてありますが、他の場合の表がないので以下にまとめておきます:

普通 BTLC 先見的
selbri   j gi' g
tanru内selbri   j - gu'
bridi   j - g

]

2 件のコメント:

  1. >同様にして、 na .aは「1は真で2は偽、ではない」、TTFTとなります。

    TTFT: .a nai と na .a ですか?

    「私はコーヒーにはミルク FFFF 砂糖が好きだ」

    よくわからないです

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  2. na.a はTFTTです。修正しておきました。

    aは「両方偽のとき以外は真」とも言えます。
    anaiで両方が偽になるのは、前が偽かつ後ろが真、のときです。つまり、TTFT となります。
    一方で、na.aで両方が偽となるのは、前が真かつ後ろが偽、のときで、TFTTとなります。


    「私はコーヒーにはミルク FFFF 砂糖が好きだ」というのは、
    P:私はコーヒーにはミルクが好き
    Q:私はコーヒーには砂糖が好き
    としたときに
    PでありQである、は偽
    PでありQでない、も偽
    PでなくQでない、も偽
    PでなくQでない、も偽
    ということです。
    これは結局、コーヒーが嫌い、ということになります。

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