2013/05/13

Lojban Lessons – 4章 (心態詞(attitudinals))

Lojban Lessons – 4章 (心態詞(attitudinals))

 英語圏の人[注:日本人にもかな?]に馴染みのない概念のひとつに心態詞があります。心態詞は感情を直接表現する語句のことです。心態詞のアイデアは男女平等主義者がこしらえた言語、Ladanに起源があります。Ladanでは真に女性らしい感情を表現することができます。このアイデアは、女性らしい感情の表現が男性支配的な言語によって妨げられており、もしより自由に表現することができるならば、そういった女性的感情表現は言語の自由を通して女性の権利向上を後押しするだろうというところから生まれました。
 ロジバンにはそんな思惑はないですが、心態詞があまりにも素晴らしく、便利であることからロジバンに組み込まれてきました。心態詞にはいわゆる自由文法が備わっています。つまり、bridiの文法やその他いかなる文法構造をも崩すことなく、bridiのほとんどあらゆる場所に現れることができます。
 ロジバンでは、心態詞はその直前の語に係ります。もしその語がある構造を始めるもの(.iやloなど)であれば、心態詞はその構造全体に係ります。同様に、心態詞がkuのようなある構造を締めくくる語の直後にくる場合も、その構造全体に係ります。

例のために、心態詞を2つほど載せます。
.ui : 心態詞: 単純純粋感情: 幸福 - 不幸
za'a : 心態詞: 認識系(evidential): 私は直接観察する


.uiの定義に注目してください。2つの感情、幸福と不幸がありますね。これはつまり、.uiは幸福と定義され、その一方で「否定」、不幸も意味するということです。「否定」というのは少し意味合いが異なるかもしれないですね。細かな話をすれば、.uiの別の定義はもうひとつ語をつけた、.ui nai で表されます。ほとんどの場合、心態詞の2番目の定義(接尾辞naiをつけた形)は実際、元の心態詞の否定となります。例外はありますが、そこまで多くありません。

さらにいくらかselbriを覚えましょうか:
citka – x1 は x2を 食べる 
plise – x1 はx2(種)の林檎


do citka lo plise ku .ui という文は、「君が林檎を食べる、いえい!」という意味になります。(特に、食べるという行為や食べている人にではなくその林檎に対して話者は幸福感を表しています)。do za'a citka lo plise ku という文では、話者は実際に、林檎を食べるのは他の誰でもなくだということを直接観察しています。

心態詞がbridiの最初に置かれた場合は、あろうがなかろうが.iに係っていると理解しますから、bridi全体に係っているということになります。
.ui za'a do dunda lo plise ku mi 「いえい!僕は君が僕に林檎をくれるのをこの目で見たよ!」

mi vecnu .ui nai lo zdani ku 「私は家を売る(くそっ)」

いくつかの例で試してみましょう。まず、さらにいくつか心態詞を載せます。
.u'u 心態詞: 単純純粋感情: 罪の意識がある - 無慈悲 - 無垢 
.oi 心態詞: 複合純粋感情: 不満 - 快適
.iu 心態詞: 雑多純粋感情: 愛 - 憎しみ


どうですか、ひとつの定義に3つの感情がありますね!中央の感情は接尾辞cu'iをつけて表します。意味としてはその感情の中間地点です。ということで、 .u'u cu'i は無慈悲を意味します。
[注:この場合、naiをつけた意味は3番目の定義(無垢)になります。]
cu'i 心態詞の中間を示す: 心態詞の意味をその感情の「中間」へと変える。

「私はなにかをドイツ人(僕の大好きな)にあげる」と言ってみましょう。

Answer: mi dunda fi lo dotco ku .iu もしくはfiの代わりにzo'eでも構いません。

では次に、「(快適)ふふ、私は黄色い林檎を食べる。」

Answer: .oi nai mi citka lo pelxu plise ku

もうひとつ、ちょっと毛色の違った心態詞を載せます。
.ei 心態詞: 複合命題感情: 義務 - 自由

使い方はいたって簡単です。「私はその林檎をやらなければならない」は mi dunda .ei lo plise ku です。しかし、少し考えてみると、この心態詞は奇妙です。今まで見てきた他の心態詞はそのbridiについての話者の感情を表していたのに対し、.eiはそのbridiの意味合いを変えてしまっています。なぜでしょう?たしかに、「私はその林檎をやらなければならない」というのは、実際に林檎をやったのかどうかについては何も言及していません。反対に、.uiを使った場合では、実際に私は林檎をやっており、そしてそれについて幸せだと述べているのです。一体全体どうなってるのでしょうか?
[注: .uiは現実世界に起こる出来事を表すbridiに対する感情表現ですが、.eiは仮想世界(話者の頭の中の世界)で起こる出来事を表すbridiに対する感情表現となっています。日本語の文をいまいちどよく見てみると、これは「林檎をやる」という出来事を頭の中で思い浮かべ、それに対して義務感を感じているという文であることがわかるかと思います。『.eiがbridiの意味合いを変えてしまっている』とはそういうことであり、それゆえに「~しなければならない」という文は、実際それを行ったかどうかについては何も言及していないのです。] 

どういった心態詞がbridiの真になるための条件を変えるのかというこの問題は、そこまで盛んに議論されてはいません。ひとまず公式の見解は、この違いは「純粋感情」と「命題感情」の差にあるとしています。命題感情だけがbridiが真になるための条件を変え、純粋感情は変えることができないのです。
[注: 真になるための条件について補足しておきます。純粋感情のつくbridiは現実世界の出来事を表しており、命題感情のつくbridiは仮想世界(頭の中)の出来事を表しています。ですから、命題感情のついたbridiが真となるためには、仮想世界でその出来事が成り立つ、たとえば義務感についていえば、その仮想上の出来事について義務感をもってさえいればそのbridiは真となります。これがbridiの真になる条件が命題感情がつくか純粋感情がつくかで変わるということです。]
bridiの真理値を変えずに命題感情を使うには、.iを用いてbridiとそれを隔ててやる必要があります。また、bridiの真になるための条件を明示的に変える語もあります。

da'i 心態詞: 談話系: 仮定 - 現実
 

da'iを用いれば、bridiの真なる条件が仮定状態[注: そのbridiが仮想世界の出来事を表す]に変わり、これはちょうど命題感情を使ったのと同じになります。一方、その否定da'i naiを使えば、仮定状態から普通の状態にbridiを戻すことができ、これは純粋感情を使う場合に等しいです。

それでは、「私は林檎をやる(そしてそれについて義務感がある)。」というのを二通りの方法で書いてみましょう。


Answer: mi dunda lo plise ku .i .ei と mi dunda da'i nai .ei lo plise ku

[注: おそらくda'inaiよりもda'iをみたほうが分かりやすいと思います。da'iはいわゆる仮定法です。.ui da'i do klama ti は、「君がここに来てくれたら嬉しい」となります。do klama tiは仮想世界(頭の中)の出来事であり、それに対して嬉しいと言っているのです。これは、.a'o(希望)に近いですね。ちなみに.a'oもやはり命題感情です。]
[注: この一連の話は分かりにくいとおもいます。実際4章時点で理解しなければならないことかと言われると正直微妙です。結局ここの話は、私たちが自然言語で普通に行なっていることをしっかり分析しておこう、という話に近いです。言い換えれば、自然言語と同じように使えば問題ないともいえます。]

daiを使うと自分でなく他の誰かが心態詞で表される感情を持っているという風にできます。日常会話では大抵、その心態詞は聞き手に向けられますが、必ずしもそうである必要はありません。また、その語が「感情移入」と訳されることから、話者もその人と同じ感情を抱いてなければならないと誤解している人もいますが、そうではありません。[注: daiは直前の語のみに係ります。.ui .oi dai は、(.ui) (.oi dai) です。]

dai 心態詞 修飾語: 感情移入 (心態詞を自分以外の誰かに向けて使う) 
.u'i: 心態詞: 単純純粋感情: 愉快 - 退屈、疲労

例: u'i .oi dai citka ti  「はは、これが食べられている!さぞ不満だろうな」

よく使われるフレーズ .oi .u'i dai はどういう意味でしょう?
Answer: 「なんてこった、滑稽に思われるだろうな」

ひとつ、確認問題をしてみましょう。「彼は家を売るのを残念がった」を訳してください。(二点ほど注意があります。ロジバンでは時制は含蓄されているので特に明示する必要はありません。あと、「彼」というのは文脈から明らかなので省いてかまいません。)

Answer: u'u dai vecnu lo zdani ku

最後に、心態詞の強弱について話して終わりたいと思います。強弱をつける語が用意されてあり、それを強めたい語の後(接尾辞があればその後)に付け加えます。selbriのような、心態詞以外の語を修飾する場合、その意味は明白には定まっていませんが、概してそのselbriの意味を強めたり弱めたりすると理解します

修飾語 強度
cai      非常に強い
sai      強い
(none)   不定 (中間)
ru'e     弱い

.u'i nai saiはどんな感情でしょう?

Answer: 強い退屈感

次に、あなたが少し冷ややかであることを表すにはどうすればいいでしょう?

Answer: .u'u cu'i ru'e

2 件のコメント:

  1. これは原文に対する批判なんだけどさ、
    daiの下の例にu'iを使うのはよしたほうがいいのではないかと思う。
    下のu'iの定義を上に持ってくるか、重複覚悟で例のそばにu'iの定義を書くほうが親切だと思う。
    あくまで入門者がこのテキストを見た時にって視点だから既習者からすると細かすぎる指摘かもしれん。
    参考になれば幸い。

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  2. これ訂正するの忘れてました。やっておきます。

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